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時代・歴史小説2005





鬼平犯科帳 二十二 特別長編 迷路/池波正太郎

平蔵に恨みを持つ盗賊が、平蔵の周囲の人間を残虐に狙い始める。どうしても尻尾がつかめず、焦燥を深める平蔵なのだった。事件の根は以外と深く、平蔵が「本所の銕」と呼ばれてぐれていた頃の付き合いまでに遡っている。

失敗ばかりを繰り返す同心の細川峯太郎が、今回は博打にはまり、更に盗賊の娘に可愛がられているあたりが笑わせてくれる。お頭に問いつめられて気を失ってしまうのもいつもどおりだ(笑)。木村忠吾が真面目になってしまったので、細川がその身代わりだろうか。

平蔵の息子辰蔵が贔屓だ(笑)。道楽者なのは相変わらずながら、剣の腕を上げているようだ。こういう、へらへらと頼りない人間がいざというときに思わぬ実力を発揮するパターンが好きなのだが、もっと辰蔵の活躍が見たかったと思う。

なかなか事件を解決できない平蔵に幕閣が業を煮やし、罷免の動きが出てくるが、平蔵を贔屓にする京極備前守が、平蔵を守ろうとすると足を引っ張られかねないあたりは、キャリア官僚の勢力争いを思わせる。

残すところあと二巻だ。








を乗せる舟/宇江佐真理

回り髪結いで奉行所の御用も勤める伊三次の捕り物を江戸情緒たっぷりに描く「髪結い伊三次捕り物余話」シリーズの第五弾。気の強い深川芸者文吉や八丁堀の不破同心など、伊三次を取り巻く人々の関係もホロリとさせる。

伊三次には子供が生まれ、弟子を取り、不破の息子は見習い組にあがり、徐々に新たな顔ぶれが登場している。どの短編もよく出来ていて上手いが、登場人物たちがさほど変わらないままシリーズを続けるよりも、徐々に変化させていく道を選んだような感じがある。

「妖刀」女隠居の家から多数の名刀が道具屋に持ち込まれ、出所に怪しい気味があるということで伊三次が探りを入れることになる。ホラーな趣向だが、妖異をが見える道具屋の主人がちょっととぼけていて面白い。

「小春日和」凶悪な下手人の捕縛に協力した浪人者が、偽名を名乗って去る。伊三次が事情を探ってみると、病弱な兄の代わりに家を継ぐのが嫌で家を出ている武家の次男坊であり、思う人がいることなどが分かってくる。男女の機微がしんみりさせるし、仲を取り持とうとする元冷飯や伊三次らの思いやりが温かく、気持ちの良い一篇だ。

「八丁堀純情派」不破の息子龍之進が見習いとして出仕する。元服の場面を詳細に描写し、そこに切腹のイメージを重ねてみせるのは、武士として一人前の覚悟を示しているのだろう。大人になることの真剣な思いが伝わってくる。他の同心らの子弟も同時に見習い入りとなり、そこに小さな社会が形成される。深夜に大騒ぎして世間に迷惑を掛ける「本所無頼派」に対抗し、「八丁堀純情派」として本所無頼派をあぶり出そうとする青い正義感が嬉しい。

「おんころころ…」伊三次の倅が疱瘡になり、命が危ういと言うことまでになるが、伊三次が事件がらみの妖異な女に導かれた寺で祈祷すると命を取り留める。振り袖火事の亡霊やら、女を食い物にする没義道な親子やらがからんで、ホラーな味わい。子に寄せる伊三次の思いが切ない。

「その道 行き止まり」出仕した龍之進は、勤めの責任感にさらされ、口の減らない伊三次の弟子九兵衛にいらいらさせられ、煮詰まってしまっている。青春の苦悩である(笑)。九兵衛に「その道は行き止まりですよ」と言われたのが己の行き詰まりに重なり、伊三次の顔を見て思わず泣いてしまうのが可愛い。

「君を乗せる舟」しみじみと上手いなぁ・・・。伊三次のシリーズとは別に龍之進のシリーズ化して欲しい感じだ。

全編を読んで思うのは、やはり世代交代なのかなぁということである。まだ若い伊三次は当分現役だろうが・・・。








玄冶店の女/宇江佐真理

玄冶店で暮らす訳ありの女たちの哀歓を、江戸情緒や季節感をからめて描いた時代連作。

吉原から身請けされた妾のお玉、水茶屋上がりの妾で若い間夫と逢い引きしているお花、芸者で三味線の師匠でもあるお喜代の三人は、それぞれが過去を持ちながら強く生きていて、何かとやり合いながらも姉妹のように接している。意地っ張りな女たちの友情が切なく痛快だ。

行く道は徐々に分かれていくし、決して明るい未来だけが待っているわけではなさそうだが、脳天気なハッピーエンドよりも余韻の深い物語になる。お玉が可愛がる置屋の娘小梅とのふれ合いも上手い。お玉に懐いているかと思うと、お玉と手習い所師範の恋にやっかんだり、色町のませた子供らしいおかしさがある。








青い空/海老沢泰久

幕末・明治初期の宗教政策に翻弄させる青年を主人公にした時代小説。同時に当時の宗教政策のいい加減さを綿密に描いていて、司馬遼太郎の手法を思わせる。小説以外の情報が羅列されて、その辺やや鬱陶しいが、新しい知識を得ることが出来た。また、青年の流転の人生模様が波瀾万丈だ。

主人公の藤右衛門は、転びキリシタンの子孫であり、5代先まで監視・差別の対象になる「類族」である。寺請制度のために、たびたび布施をしなければならず、そのために肥え太る僧侶や侍を恨んでいるものの、己ではいかんともしがたい百姓だ。親友が巻き込まれたトラブルの解決のために、ろくでなしを殺して国抜けを敢行、新たな人生に踏み出すことになる。関所破りを繰り返す途次、従者に死なれた商家の夫人を助けたことで、そのまま従者になりすまし、宇源太と改名、無事江戸にたどり着くのである。

剣術道場の下男となった宇源太は、本居宣長・平田篤胤の国学に傾倒している神主の息子塚本と親しくなる。その説くところの純粋の国学・神道に啓蒙されるのであるが、このことから流転の人生に放り込まれることになる。さまざまな行く立てがあるが、とにかく希望を感じさせる結末に至ってはいる。

とにかく幕末・明治初期の宗教政策がめちゃくちゃである。寺院に身元保証をさせる寺請制度については教科書的な知識はあったが、この寺請証文を貰うために庶民にとっては大枚を支払わなければならない。親の忌日や花祭りに参詣し、そのたびになにがしかを支払うのである。寺は肥え太り、坊主は俗悪なばかりである。

思えば、父方の本家筋では、墓参りのたびに寺になにがしかを包んでいっていたし、仏事の時に坊主が偉そうな説教を垂れたていたが、要するに江戸時代からの伝統なのだ。

国学というのは穏健右翼な国粋主義だと思っていたが、ここに儒教的な精神はなく、儒仏をともに排斥しているのだそうである。これに儒教的な精神を加え、尊皇攘夷に仕立てたのが長州あたりの主張らしい。明治維新後は、国家神道を推し進め、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたことは知っていたが、熱心な仏教徒にまで神道式の葬儀を押しつけ、寺請の代わりに神社請を作ろうとしている。思想に取り憑かれた権力というのは厄介なものだ。

寺請にしても国家神道にしても、権力と宗教が結びつくとろくなことがない。自分自身は無宗教な人間だが、山川草木すべてに神が宿っているという日本的なアニミズムは好きだ。 御利益などとは関係なく、社があればちょっとだけ敬虔な気持になるような、そんな存在が望ましいと思う。

著者は國學院を卒業し、折口博士記念古代研究所勤務を経ているそうなので、この小説に書かれていることは史実なのだと思う。新たな知識が得られた反面、物語が読みたい者としては、情報の羅列が鬱陶しくもあるのだが・・・。

この作家、私にとってはスポーツ小説の人というイメージだった。「監督(広岡を主人公にした野球小説の名作!)」「F1 地上の夢」というような著作がまず思い浮かぶのだが、元々こういう方面の出身の人だったんだなぁ・・・。








乱世疾走  禁中御庭者綺譚/海道 龍一朗

デビュー作「真剣」が超絶的に面白かった著者の二作目です。前作では、新陰流の創始者上泉伊勢守を中心に、高潔な好漢たちの熱い魂のせめぎあいを描いてカタルシスがありましたが、今作ではちょっと修行の足らない若者たちが主人公になっています。

織田信長が世を席巻しはじめた頃、乱世を憂える正親町帝の意を汲んで、山科言継と立入宗継の二人の公家が、帝に世情を伝えるための組織「禁中御庭者」の創設を決意し、公家、剣豪、堺の商家など、それぞれの人脈から異能を持つ若者がスカウトされてきます。

頭目に指名された純情な肥後もっこす(天才剣士)、お調子者で遊び人のぼんぼん(才覚はある)、負けず嫌いの女剣士(忍びの術に長け、酒乱)、香道で身を立てたい陰陽師家の御曹司(妖艶で傲岸)、乱暴者の修験僧(柄が悪くヤンキーという感じ(笑))と、なかなか個性的な面々で、己の能力を発揮できる機会だと張り切っていますが、これがやはりちょっと頼りない。それぞれプライドは強いので、反目しながら最初の任務に旅立っていくのでした。本人たちの台詞も地の文も、時折かなり滑稽で、修験僧のノリツッコミなんぞもございます(笑)。

浅井朝倉の連合軍に追われて信長が京都に逃げ帰るあたりまでの時代設定で、やや冗長かなと思える部分もありますが、熱い若者たちの友情や戦いや涙がテンポ良くコミカルに描かれていて痛快な長編でした。続編もあるかなぁと期待させるエンディングのような気がします。

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乱世疾走―禁中御庭者綺譚








絶海にあらず(上・下)/北方謙三

平安時代、平将門と呼応するように叛乱を起こした藤原純友を主人公とする歴史長編。 藤原北家の傍流に生まれた純友は、任官には興味がなく、腕を磨きながらあちらこちらを旅するような無頼の生活を送っていたが、北家の氏の長者である忠平・良平兄弟を助けたことで伊予掾に任命される。

伊予では越智一族が根を張っており、都から任命されてきた役人が適当に私腹を肥やし、実権は越智一族が握っている限りにおいては衝突もないが、純友はここで自らの権力を握ろうとする。このあたり、地方に赴任したキャリア官僚と地元の叩き上げ役人を思わせる。

山の民や水師と付き合い、自由な海の豊かさを知った純友は、物資輸送を統制して藤原北家の権力を確立させようとする忠平と激しく対立することになる。自由な流通を止めることで物資の値が上がり、庶民は苦しんでいるが、一度膿を出してから世を平らかにしようと言うのが忠平の政治である。そこに私欲はないのだが、純友が希求する自由を阻むものなのだ。純友は水師を糾合して忠平の荷を襲い、忠平の権力を維持するための源泉である唐物の運び込みを阻止するのだった。

北方歴史小説の常で、主人公は常に爽快で、その周囲には好漢が揃っている。「波王の秋」の小四郎や「三国志」の劉備同様に、純友も理想に邁進する正義漢として描かれているが、そこに多少の物足りなさも感じる。人間的なアクが足りないとでも言おうか。

海戦の場面はさすがに迫力があるが、自由な海を阻むものと戦う構図も「波王の秋」同様で、もう少し新工夫が欲しかった。それにしても「自由を阻止するものとの戦い」は、団塊世代の時代・歴史作家が好むテーマだなぁ・・・。海の広大さ、豊かさ、自由さは気持ちよく描けていて、標準以上に面白い傑作ではある。


絶海にあらず〈上〉
絶海にあらず〈下〉








夏の椿/北重人

甥の変死に疑問を抱いた浪人者が、事件の真相を八丁堀同心や岡っ引きと共に探っていくという時代ミステリーです。

主人公の立原周乃介は、妾腹の生まれのために父親の家で冷遇され家を飛び出した浪人者で、刀剣の鑑定や斡旋、町のもめ事解決で糊口を凌いでいます。12年ぶりに尋ねてきた父親から、行方不明になった甥定次郎のことを知らされると、自分と、養子に出された先から勘当された定次郎とを重ね合わせ、探索にもリキが入るのでした。

甥の馴染みの遊女が重要なヒロインとして登場しますが、この源氏名が沙羅、夏椿とも呼ばれる花木で、これがタイトルと繋がっています。薄幸に育ち、たおやかな風情ながら芯に強いものを持っているなかなか魅力的な女性に描かれています。

事件の本筋とは別に、周乃介の長屋の建て替えに絡む騒動も描かれまして、地面屋と呼ばれる稼業の男が登場しています。正に江戸の地上げ屋といった感じですが、かの時代からこのような商売があったのでしょうか。他にも生臭坊主やら土地の岡っ引きやら、一癖ありげなキャラが登場していて、このあたりも魅力的です。

事件の真相究明はやや中途半端な印象がありますが(きちんと収まりは付いていますが)、 見せ場の多い筋立てで、映像化向きの作品とも思いました。

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泣き虫弱虫諸葛孔明/酒見賢一

誇大妄想狂で自己陶酔でおおぼら吹きの孔明が。自ら臥龍伝説を作り上げつつ雌伏し、「三顧の礼」で迎えられるまでを描いた小説というのか評伝というのか、三国志の無理や矛盾にツッコミを入れまくり、ギャグをまぶして語っています。

ここでの劉備は、いくつもの危機を持ち前の運と魔性の勘で逃げ延びてきた戦下手、関羽はきれると恐い温厚な乱暴者、張飛は大酒のみの殺人狂、劉備軍は侠気だけで持っているはぐれ者の任侠集団、というような感じに描かれています。

全ての登場人物がコントを演じさせられているような感じがしまして、楽屋落ち的に笑えますが、三国志に精通している方なら更に面白いのではないでしょうか。

ただし、冗長な感じがしてなかなか読み切れないのがややマイナスポイントかもしれません。

分厚い本はそれだけで読む気を削がれるものですが、読んでいるうちにのめりんでしまって物語の方が勝手に進行してしまうように感じられるタイプと、面白いにしても描写がわずわらしかったりして、自ら気合いを入れて読んでいかなければならないものがあるように思います(「泣き虫…」は後者でした)。 前者はページターナーと呼ばれるそうで、いっとき、書評などで「リーダビリティが高い」なんて言い回しも使われていました。「ナンノコッチャ」と思いますが・・・(笑)。 ↓↓amazon.co.jpへリンクしています。
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やみとり屋/多田容子

 

生類憐れみの令の時代、こっそり鳥料理を食べさせる店があり、この店に集う者たちのさまざましがらみを描いた時代小説。

経営者である春之介は、二度捨てられた過去を持つ若者で、口先だけで生きる言部流舌法を標榜している。相棒の万七は剽軽な女好きで、この二人の会話は漫才だ。「吉本座」「呆けの術」「突込みの術」などというおふざけはちょっとどうかと思うし、会話術で何かの展開があるかと思うと中途半端で終わっている。

敵討ちやら世直し倒幕やら、話が膨らみすぎてどの方向へ行くのかも分からなくなるが、この作家の作品はいつもそう言う感じがある。着想は面白いのに展開が下手なのだ。ちょっとだけ「あっ」と言わせるような展開だが、うーむ、どうも話の進め方が下手だ。中途半端な関西弁の効果も上がっていなかったように思う。








天竺熱風録/田中 芳樹

田中芳樹の作品にはあまり目を通しておらず、これで三冊目ですが、どれも面白く読んできました。中国歴史物で定評がありますが、その分野のものを読むのは初めてです。最初、西遊記ばりの講談調の文体に驚きましたが、これがこの作品にはぴったりの文体なのだと後書きにありました。

物語の方ですが、唐の太宗の時代、西域担当外交官として天竺に赴いた王玄策の大活躍を描いています。活躍の内容についてはネタばらしになるので触れませんが、異常事態に能力を発揮した官僚の、胸のすくような痛快さ、という感じでしょうか。

文章のリズムも良く、とんとん拍子に進んでしまいますが、もう少し紆余曲折があった方が話が分厚くなって面白くかったのではないかと思います。まぁ、わがままな読者の贅沢ですが・・・(笑)。

官僚としての位階があまり高くなかったので正史に残りにくかった人らしいのですが、大唐西域記に匹敵するような著作も残していたそうです(散逸してしまい、後の著作に引用されているだけとか)。現存していれば資料的な価値は高かったのでしょう。

少し話がずれますが、西遊記について少し・・・。
手塚アニメの影響か子供の頃からこの物語が好きで、児童向け抄訳を読み、高校生になってからは図書館にあった平凡社の中国古典文学全集の鳥居・大田訳のものを読み、文庫で出ていた抄訳や、岩波文庫の中野美代子訳のものなどを読んできましたが、漢文のいかめしさと講談風の軽妙さが生き生きとしていた鳥居・大田訳が一番面白かったように思います。
何を底本にしているかによっても違ってくるのかもしれませんが、こなれ過ぎている日本語訳には違和感を感じるのでした(孫悟空が「君・僕」でしゃべるのはどうもいただけません(笑) )。

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天竺熱風録








纐纈城綺譚/田中芳樹

戦前の娯楽作家・国枝史郎に「神州纐纈城」という幻の名作があることは知っていたが、入手しにくく、またちょっと読み辛そうでもあり、手が出ていなかった。「纐纈城奇譚」「神州纐纈城」を読んだ田中芳樹が、結末が物足らないと自分で書いてしまったものである。元々「宇治拾遺物語」にある、留学僧円仁の逸話らしい。唐の宣宗の御世、人の血を絞って布を染める、極悪な陰謀結社があることを知り、これを退治せんと乗り込んだ快男児たちの物語である。

単純明快なストーリー展開、勧善懲悪の痛快キャラ、隠された身分、おどろおどろしい怪奇趣味など、何かに似ていると思ったのだが、少年倶楽部文庫の「豹の眼」などだった。 あまりボリュームはないが、痛快な怪奇活劇譚である。

因みに少年倶楽部文庫とは、戦前の雑誌・少年倶楽部に掲載された作品を再録した文庫のシリーズで、講談社から一時的にリリースされていた。自分が中学生の頃に創刊され、あっという間に廃刊になったが、軍国的とでも言う批判があったのだろうか。「村の少年団」のようユーモア小説や秘境冒険小説など、かなり楽しんだのであるが…。








猿若の舞/東郷隆

初代中村勘三郎を主人公にした時代小説です。先頃襲名披露した十八代目の依頼で書かれたということでした。 大坂の陣が始まる直前、徳川の支配体制が固まりつつある頃が舞台です。二代目出雲の阿国一座の猿若道順(のちの勘三郎)は新しい芸能の考案に邁進していますが、何かと政治的な動きにも巻き込まれています。中世的な自由な時代が終わり、河原者の世界にも徳川の管理が及ぼうとしているのでした。

初代勘三郎は、中村一氏の血を引いており、母親は本願寺の坊官の娘と言うことになっています。どこまで真実か分かりませんが、芸能と念仏の結びつきを感じさせる逸話です。歌舞伎踊りも、祖は念仏踊りと言うことですし・・・。河原者に限らず、流浪の職能民と念仏信仰の結びつきはつとに言われるところですが、私はこういうものに、いかにも中世的なファンタジーを感じてしまう歴史ミーハーなのでした(笑)。

踊りから出発して演劇の要素を強めた勘三郎の歌舞伎ですが、勘三郎の相棒として山屋三郎という役者が登場します。元々、町のかぶき者(異装をし奇矯な振る舞いをする、世の規範から外れた者、という感じでしょうか)ですが、ややおっちょこちょいながら楽しい男で、主従のような、友人同士のような、二人の友情が気持ちようございました。

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猿若の舞 初代勘三郎








群青遙かなり/花家圭太郎

花家圭太郎は、「暴れ影法師」「荒舞 花の小十郎始末」など、おおぼら吹きながら実行力もあり、藩主や幕府のお偉方ともツーカーな仲である戸沢小十郎を主人公にした痛快なシリーズの作者ですが、今回は戦国時代末期を舞台にした作品です。

婚礼の夜、花嫁に横恋慕した藩主の襲撃を受け、花嫁と共になんとか落ち延びた乾主水(いぬいもんど)ですが、結局花嫁を殺され、生死の境をさまよっているところを豊後の国主大友宗麟に救われます。宗麟は、絶望から一度は死を決意した主水に、花嫁にこの世の土産話を持って行けと諭し、生きる気持ちを起こさせるのでした。主従ではなく食客となった主水と宗麟の関係は、小十郎と土井利勝の関係を思わせて楽しゅうございます。

毛利や島津と言った戦国の雄に囲まれて四苦八苦している宗麟は、起死回生の策としてフランスに発注していた大砲の受け取りに、主水をインドのゴアに派遣しますが、ここでもう一人の主要人物カルロスと主水の邂逅があります。

スペインに併合されたポルトガルを守ろうと寡兵で善戦したカルロスは、無敵男爵の異名を取る快男児で、先んじた友の跡を追って自分も戦いの中で散ろうとしますが、救国の英雄を惜しむ声に説得され、リスボンに潜伏して巻き返しを図ります。しかしスペイン側にその存在を知られ賞金を掛けられ、再び逃亡することになるのでした。カルロスは、炸裂弾の大砲の製法を知るために、やはりゴアに赴くことになります。

二人の快男児がゴアで出会い、友情をはぐくみ、物語は大きく動き出したかに見えますが、終盤に向かって尻端折りをしたかのように急速に展開していってしまい、実はそれまでの二人の半生の方に重きを置いているのかとも思わせました。様々なエピソードがあるのですが、わりとすんなり段取りが付いてしまって、もう少しじっくり描いた方が物語に説得力があったのではないかと思います。それでもまぁ、標準以上の面白さではあります。

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銀座開化事件帖/松井 今朝子

「幕末あどれさん」の続編になりますが、前作を知らなくても大丈夫でしょう。文明開化著しい銀座を舞台に、新時代に揺れる人々の哀歓を情緒たっぷりに描いた明治小説です。

幕末の騒動で燃え尽き、一時北海道に逐電していた久保田宗八郎(旗本の次男坊)は、新しい世には馴染めず、かと言って江戸の世には戻れず、世の中を捨てた気になって鬱々と暮らしています。時流に乗った兄の手引きで銀座の煉瓦長屋に住まうことになりますが、大家である元大名家の若様とか、元八丁堀与力のクリスチャンとか、新時代に敏感な、やや軽薄とも思える若者たちとの知遇を得たり、もめ事の解決に乗り出したり、知らず知らず世の中と関わることになっていくのでした。

半ば世捨て人のような宗八郎ですが、まだ三十才で、このままでは終わりたくないと言う思いも持っており、この相克も読みどころでしょう。新時代の乙女との心の交流など、まことに情緒纏綿という感じです(笑)。一種の再生小説といえるかもしれません。

ただし、この安易なタイトルはいただけません。もう少し含蓄のあるタイトルを付けて欲しかったものです。








一の富/松井今朝子

狂言作者に弟子入りした町奉行所同心の弟が、狂言の種になるような町の噂を拾ってこいと師匠に命じられ、さまざまな事件やゴシップを掘り出しては、兄や師匠の協力でトラブルを解決することになる連作シリーズです。

人が好さげでのほほんとした感じながら正義感の強い主人公と、バラガキ娘と呼ばれる男勝りの芝居茶屋の娘との恋の行方なんていうのもお約束ですが気になります。

表題作である「一の富」は、配偶者の当たりはずれを富くじになぞらえた佳篇で、 おっちょこちょいの木戸番のエピソードがしみじみさせました。

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一の富―並木拍子郎種取帳時代小説文庫








仲蔵狂乱/松井今朝子

凄まじくも超絶的に面白かった歌舞伎芸道時代小説。

長屋の孤児が、長唄と踊りの師匠夫婦のもとに養子として貰われ、歌舞伎役者として大成する人生を描いたものです。時代小説大賞受賞作で、歌舞伎芸道小説は苦手な分野かなと敬遠していましたが、読んでみたら先鋭的に面白うございました。

長屋の孤児は、大人に可愛がって貰うために可愛い笑顔を向けるという得意技を持っていますが、この、生きていくための切ない知恵がそのまま役者魂に転化されています。養母の厳しい仕込み、陰湿ないじめなど幼児虐待まがいの辛い描写もありますが、逆に養父母との濃い人情、恩人との交情など、ホロリとさせられる部分は時代小説ならではでしょう。声の悪さを踊り仕込みの所作と演技力でカバーし、新しい芸風を打ち立てた歌舞伎役者の痛快ど根性出世物語であるとも言えそうです。

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仲蔵狂乱/講談社文庫








カーマロカ 将門異聞/三雲 岳斗

藤原秀郷に討ち取られたはずの平将門が生きて逃亡中という設定の平安時代小説です。 将門は、東国自治を夢見た陽性の剽悍な快男児で(デルフィニア物語のウォルを思い出させます)、戦に負け、何かを欠落してしまっていますが、それでもひとを惹き付けずにおかない魅力的な人物に描かれています。

都は今までとは違うタイプの武士の出現に恐れを抱いており、狂信的な僧兵、圧倒的な能力を持つ陰陽師、将門の従兄ながら反対の立場にいる平貞盛などを送り込み、信濃の地で将門を狩りだそうとしますが、これらの敵役たちもまた複雑な事情を抱えており、なかなか魅力的です。

将門と同じように育ってきて、人物として大きい将門に妬心を抱く有能な武人官僚貞盛、父親を越える能力を持つ故に疎まれ、厳しい戦いに送り込まれた陰陽師の貴公子、信濃のまつろわぬ民で、甲賀三郎の末裔を名乗る異能の一族など、それぞれに将門を追いながら彼に魅了されていくのでした。

倒しても倒しても起きあがってくる無敵の狂信的な僧兵は、ターミネーターという感じでしょうか。ライトノベル出身の作家ということで、このあたりの描き方は迫力があります。

戦い、ユーモア、人物の魅力、愛憎半ばする男たちの思い、何とはなしに流れる哀切な情緒、ほんの少しのファンタジー性など、なかなか読ませる爽快な物語でした。

カーマロカ―将門異聞








三国志/宮城谷 昌光

通俗読み物としての「三国演義」ではなく、正史である「三国志」を底本としているということで、物語は、劉備や曹操などの時代よりももう少し前から始まっています。ケ太后やその外戚が善政を布いていた王朝ですが、ケ太后が亡くなった途端、安帝の親政が始まり、側近の奸物たちによって政治は壟断されることになるのでした。

三国志のおなじみの人物たちは未だ登場せず、読みにくい漢字を連ねた名前や熟語が頻出し、やや退屈な歴史解説が続きますがが、悪役が登場する頃からやっと物語が動き始めました。

この場面では、帝室一途の宦官たちが重要な役どころになりますが、廃嫡された元皇太子の凛然さと、彼を魔の手から守ろうとする幼い宦官(曹操の戸籍上の祖父)の忠誠が光っており、主従関係とも友情ともつかない二人の感情が美しく描かれています(北方版三国志では、筋目の良さを拠り所としている袁召が曹操のことを「腐れ者の家系」と蔑んでいますが)。

物語はまだ始まったばかり、どのような歴史群像劇が展開されるのか、楽しみです。

宮城谷文学は、器量の大きな主人公が頼りになる部下を得て大業を成功させる、というパターンが多うございます。知謀とか剛胆とか正義とか善良とか、人間の正の部分を歴史のダイナミズムの中に投影しているあたりが「リーダーはどうあるべきか」というようなビジネス書として読まれているのではないかと認識していますが、この分野での先達馬遼太郎に、最近は文体まで似てきたように思うのでした(笑)。

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三国志 第一巻








こんちき/諸田玲子 

あくじゃれ瓢六の続編である。反骨精神の小悪党が、意気に感じて八丁堀の冴えない同心に協力するという時代連作だ。前作は正直なところ時代小説的な情感に乏しく、評論家の北上次郎氏の評価ほど良いとは思えなかったのだが(赤川次郎のユーモアミステリーのようで、それ自体としては悪くない)、今回はぐっと情感が増したように思う。

「消えた女」「孝行息子」金で請け負って悪者の悪評を流すような瓦版売り一味なども登場し、面白さを増している。訳ありの母子を匿うサイドストーリーが出てくる。これはもうお家騒動からみというのが一目瞭然だが、親子のために一肌脱ぐ瓢六一味の義侠心も心地よい。

「鬼と仏」凶悪な強盗を捕らえた奉行所だが、武家から盗んだ品物(拝領品)の在処を頑として吐かない。牢に送り込まれた瓢六が真相を探り出すと・・・。ひとの両面を描いて皮肉な面白さがある。

「半夏」牢内の対立を鎮めるために、またもや送り込まれた瓢六が、奇抜なな手段で荒くれたちを大人しくさせてしまう。なかなか不気味な雰囲気が漂っている。

「こんちき」付け馬を名乗るチンピラが、無実の友達を助けるために瓦版を書いてくれと瓢六のもとに現れる。義侠心から請け負った瓢六が、仲間を口説いて無賃でその友達を助け出してやると・・・。やや背筋寒く、情感の漂う一篇。匿っている母子についても瓢六の策略が功を奏し、ついでに無骨な同心の恋も叶うという、なかなか盛りだくさんの内容だった。








さぶ/山本周五郎

山本周五郎は中学生の頃から好きだった。最初は、滑稽なひとびとを描いた作品に笑わせられたものだが、市井の人情や、武家の折り目正しさ、道徳性などを描いた作品に徐々に引き寄せられていった。「さぶ」もその頃に愛読したもので、たぶん20年ぶりくらいの再読になる。

経師屋で徒弟奉公する栄二とさぶの、友情や苦難や成長や再生を描いた作品である。機転が利いて腕のある栄二と、愚直で不器用で真っ正直なさぶは、正反対の立場ながら気が合って助け合っている。

ある日栄二は、お出入り先の商家で濡れ衣を着せられ、店を放逐されるが、酔って暴れたために、更に辛い目を味わうことになる。

どこまでも栄二を頼り、栄二の復活を待っているさぶだが、その愚直さが栄二の心の支えになっていたりする。さぶの面倒を見てやっているつもりの栄二だったが、実はさぶに助けられていたのだ。タイトルの割りに栄二の人生が多く語られる小説だが、栄二の目を通して描いたさぶ、ということだろうか。






































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