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エッセイ・ノンフィクション・その他2005


飛びすぎる教室(先生の雑談風に)
/清水義範・西原理恵子

主要4教科を語ってきた名コンビの最終篇は総合科目で、先生が教室でする雑談のように、ということらしい。

「歴史とは文明の自己紹介である」では、なぜ世界史は中国とヨーロッパに偏っているかを論考してみせるあたり、。イスラム世界に興味を持っているシミズハカセらしい、面白い着眼点だ。

その他、「西洋料理の起源はメソポタミアである」とか「芸能人に幽霊目撃談が多いのは、芸能=シャーマニズムである」とか「閏年ではない4年目の年」とか「最初の大爆発から宇宙が生まれたとするビッグバン理論は、この説に反対する科学者揶揄的に命名した」とか、とにかく目から鱗の雑学知識が楽しい。本文の内容と関係なく暴走するりえぞう画伯の挿絵も過激で笑わせてくれた。

余談だが・・・。ビッグバン理論の創始者ジョージ・ガモフは、DNAが明らかにされ、まだRNAが発見されなかった当時、アミノ酸とDNAの間を介在する物質の存在を予言していたという話を読んだことがある。宇宙物理学と生命科学は、無限に不可思議であるという点で似ているように思うが、あまりにもかけ離れているとも思う。天才は他分野でも能力を発揮するのかもしれない(笑)。










大江戸美味草紙(むまそうし)/杉浦日向子

 

江戸から来た人((c)和芥子さん)が綴った江戸グルメの数々。季節ごとの食べ物川柳を引用しながら、食べ物を粗末にできなかった時代の食の喜びを情緒たっぷりに伝える楽しい本だ。

現代とは違う価値観なので、目から鱗の知識の数々が面白い。

  数の子やサンマがマグロやスッポンが下賤な食べ物だった。
  三が日に餅を食べるのは、家康が質実剛健を肝に銘じさせるためで、
  町人まで右へならえして雑煮を食べていた。
  三が日が開けて白いご飯を食べるのが待ち遠しかった。
  ふぐを食べるのは独り者のロシアンルーレットだった
  (ふぐは毒が当たるから鉄砲というのは知っていたが、
   時折当たることがあるから、という理由らしい。
   それほど鉄砲の命中率が低いと言うことだ)。
  初鰹は三両した。
  天麩羅とは魚介の揚げ物のことで(野菜天という使い方は当然誤用である)、
  この字を当てたのは山東京伝だった。
  蕎麦は主食ではなく趣味の食べ物で、だからこそ妙な通ができたらしい。
  (通ぶりに顔をしかめる「そばの花江戸のやつらがなに知って」という
   一茶の句があるらしい)。
  甘いものが貴重だったので、客に出す羊羹は見せるだけのもので食べてはいけなかった(大量に砂糖を使っているので日持ちがし、かさかさになってから主人が食べたそうだ)。
などなど・・・。


ところどころ挿絵として日向子女史自身の漫画も挟まるが、細密な描き方は「名所図会」などの江戸の出版物を意識しているのか。











僕の叔父さん 網野善彦/中沢新一 

 

義理の叔父である網野善彦の死を悼み、叔父さんとの幸福な思い出と網野史学について語った追悼の記。

中沢家はそれなりに由緒のある名家らしいが、クリスチャンで国粋主義者で生物学者である祖父に反発し(天皇制を生物学的に考察した論文があるらしい)、息子は皆コミュニストになってしまったという家だ。それぞれが、民俗学愛好者だったり、鉄の産業史家だったり、学究的な家族なのであるが、妹の婿としてやってきた網野善彦がここに加わったことで、活発な論議が交わされることになった。中沢新一はなんと幸福な育ち方をしたのかと思うし、ここでの議論によって網野史学は大きなヒントを得たとも言えそうである。

意気投合した叔父甥は、学問的な部分でも大いに刺激し合ったことがうかがえる。人類学の方で「叔父−甥」「冗談関係」というらしいが、義務や強制を権威を伴わず、自由な関係の中から重要な価値の伝達がなされるらしい。落語や小説などでも、甥と仲良しののんきなおじさんというのがよく登場するが・・・。

悪党やばくち打ちや遊女や商工民など、非農耕的世界の民衆史を論じた網野史学は、学会では不評だったらしいが、歴史ファンにはロマンを感じさせる考え方である。網野家が寄寓していた名古屋郊外の焼鳥屋には秘宝館的な陳列物があり、野鳥を料理して供する主人は浪曲師だったと言うことで、まさに道々の輩的な、縄文的な世界が生きていたという話が興味深い。アジール研究の端緒など、網野史学を俯瞰しており、この方面の要約としても面白かった。中沢の「アースダイバー」もこの延長上にあるのだなと思わせる。












アースダイバー/中沢新一

 

縄文時代、海は現在よりもかなり内陸まで入り込んでおり、海に突き出た半島や岬の部分に霊域があった。現在では洪積層と沖積層と区分されるその境目であり、ここには現在、寺社や古墳が残っているのだとする都市探訪記。

皇居が東京の中心であるのも、集落の中心に聖域を作り、死を厭わない縄文的な文化の果であり、江戸城を造った東国武士は縄文狩猟文化の末裔であるから当然なのだそうである。

赤坂、麹町、芝、曙橋などの地域に東京タワーや放送局があるのも、異界への入口という点で、現代人も無意識に霊域の伝統を引き継いでいるのだとしている。

四谷怪談の於岩稲荷が、当初福徳の神様だったというのは初めて知ったことだ。鶴屋南北によって貶められてしまったらしい(笑)。

非常にスリリングで面白い東京ルポだが、あまり科学的ではなく、また、ちょっと対象に入れ込みすぎているというか、「トンデモ」の気配がなくもない。この人は宗教学者の看板を下ろしたが、どうも超自然の領域にとらわれる性向がありそうだ。アジールや無縁の考え方がやたらと引用されているのは、網野善彦が義理の叔父さんであるから当然か。












エンデュアランス号漂流/アルフレッド・ランシング

 

第一次世界大戦の始まる頃、南極大陸横断を試みた探検隊の航海船が流氷帯に閉じこめられ、漂流の末に氷に圧迫されて沈没。総勢28名の探検隊が、いかに苦難の末に生還したかを描くドキュメンタリーである。

リーダーのシャクルトンは、情熱家、夢想家、やや無謀な冒険家だが、とにかく冷徹なリーダーシップで、一行を無事に生還させた。「危険で生還の可能性は低い」という隊員募集の広告に応募したのが5000人だと言うから、恐らく選りすぐりのタフな隊員でもあったのだろう。隊員たちの日記の抜粋も見られ、それぞれの個性も楽しく描かれていたりする。

生活物資はわりあい豊富だったようで、何ヶ月かは余裕をもって幽閉生活をしていた一行だが、船の沈没によって氷原に放り出される。少しでも島のある方へ近づこうと移動を始めるが、ボートを引いての歩行は困難で、キャンプすることになる。アザラシやペンギンを狩ることで飢えを凌ぎ、しばらくの滞留生活は奇妙な安定を見せていたが、ついに氷盤が緩んで割れ始め、氷が緩んだ頃、陸地を目指して三隻のボートで流氷海に乗り出すのだった。

常に氷と海水にさらされているようなサバイバルである。22フィートのボートで、1400kmの荒海を航海するなど、成功することがおぼつかないような幾多の危機を凌ぐ場面が実にスリリング。下手な冒険小説などよりもよほど感動的なノンフィクションだ。

エンデュアランス号関係の著作は、シャクルトン自身の日記や、子供向けのものなど、他にも出版されているようで、本国イギリスではそれくらい有名な英雄なのだそうだ。この本の原書はカメラマンの星野道夫の愛読書だったそうで、彼が知人に勧めたことで日本での出版に至ったそうである。




















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