生徒会(家柄の良さを誇る政治的な集まり)、演劇部(美貌)という二大エリートを筆頭にしたヒエラルキーの中で、読書クラブは頭でっかちな異端者が集う辺境である。彼女たちの精神的ルーツは第一次大戦前のパリに生きた享楽的な無神論青年ミシェール(聖職者の家に生まれながら5歳にして「神などいない」と宣言して父を嘆かせ、長じては享楽的に生きている)にあり、学園の成り立ちとも関わる彼の人生が印象的だ。
ミシェールの精神的子孫が読書クラブの少女たちで、中央に対する反抗をいろいろと画策しては学園の正史に残らない暗黒史を書きつづっていく。昨今のエンターテインメントには珍しく、会話よりも地の文で物語を紡いでいるが、このアナクロい文体も魅力的である。
きみ・ぼくで話す生意気な少女たちには宝塚の舞台上のような感があり、作り物としてのリアリズムを感じさせて上手い。シニカルな視点の学園小説として大変に面白かった。
二人の剣道少女が交互に語り手となり、それぞれの成長を描いていく剣道青春小説。この作家、元々はハードボイルド畑の人で、人が死なない小説は初めてだそうである(笑)。
磯山香織は、反則まがいの関節技も交えたような攻めの剣道を得意とし、勝ち気、負けず嫌い、プライドの固まり、狷介、傲慢、試合とは斬るか斬られるか、尊敬するのは宮本武蔵という、かなり危ない奴である(笑)。中学生全国大会では、誤審から準優勝になったと信じており、鬱憤を晴らすために市民体育大会に出場したところ、マイペースでゆったりした対戦相手に負かされてしまう。これこそもう一人の語り手西荻早苗であり、西荻と勝負したさに、敵地・東松学園へと進学するのであった。
西荻早苗は日舞をやっていたことがあるためか、下半身を動かさない、ゆったりした守りの剣道が得意だが、磯山香織にとっては「あたしを負かした選手」のゆったり加減が我慢出来ない。難癖を付けてはいじめているが、それすらもゆったり受け流してしまうお人好しの西荻早苗である。
あまりにも勝手の違う相手に、何故剣道をやっているのかという迷いを持ち始めた磯山香織は、調子を落とし、スランプに落ち込む。このあたりがこの小説の眼目であろうが、筋道が簡単すぎる。ひねくれ者の小娘が突如熱血剣道娘に変わってしまい、今ひとつ説得力がないのである。ただ、そこに目をつぶれば、非常にユーモラスで痛快な青春小説ではあり、読後感は爽快、一気読みの面白さだった。
余談だが、栞ひもが紅白二本になっているのはたすきなのだろうが、ちょっと楽しい。
そろそろきなくさい匂いが漂い始めている満州事変ころの東京を舞台に、中堅俳人秋野暮愁の句会に集う三人の女性の句作や恋や描いた句会小説。
ちゑ(大学教授の娘)、壽子(医専学生)、松太郎(浅草芸者)の三人の描き分けが面白く、戦前の女性らしい雰囲気が出ている。ちゑは暮愁を思い、壽子は同級生からと思われる差出人不明の雅な恋文に心をときめかせ、松太郎は若い歌舞伎役者に熱を上げており、いて、三人の句会での成長と共に、それぞれの恋の行方も重要なモチーフとなっている。
世にも稀な句会小説という感じで、小父さんたちにまじって句会を楽しむ闊達な女性たちの姿が面白かったが、軍国主義化の風潮と相まって、俳句界の生臭さなども描かれており、段々に暗い雰囲気になってくる後半はやや重い。最初の一編だけで良かったんじゃないかと思わせた。句会の出席者の俳句はすべて作者の創作によるものなのか、ありそうな俳句を幾つも並べたものである。
父親の年の離れた妹である若い叔母を、姪っ子世宇子の視点から描いたユーモラスな家族小説である。
無軌道で非常識な美晴さんだが、一本気でもあり、家族からやや白眼視されつつ愛されてもいる。面倒なことから逃げる(本人によれば追いかけている)癖があり、それがらんなうぇいとういタイトルなのだが、世宇子の祖母(美晴さんの母親)が亡くなった時、葬儀の席からいきなり消え失せる理由もなかなかにしみじみとさせる。母親の思い出を語る美晴さんの悲しみが見えて何とも切ない。
また、世宇子の叔父は、結婚に際して妻の実家から猛反対された経緯があるが、小学生の美晴さんが実家の門前で「あたしの兄のどこに文句があるんだ」とがなりまくった、などというエピソードもある。そのエピソードを披露したのは世宇子の父親だが、とくとくとして語っており、みんな美晴さんを愛しているのだ。
世宇子の弟の翔はおっとりと優しい男の子だが、心霊・超能力・超古代文明などを採り上げる月刊モー(笑)を愛読しており、これが家族の悩みの種でもある。祖母と交信するべく通販で「イタコイラズ」を購入したエピソードも大変笑わせ、しんみりさせてくれた。
連作内のどの短編も、ユーモラスで切なくて少しだけ人間の嫌らしさが出ていて良く出来ているが、欠点は読み易すぎることか。良く出来たショートストーリーをあっという間に読まされている感じなのだ。もう少しみっちり書き込んでも良かったのではないかと思う。
走ることが好きで好きでたまらない少女ららと、野球少年純也の恋愛を絡めながら、天才陸上少女の軌跡を追ったスポーツ青春小説。
天才的なランナーららは、学校のマラソン大会、駅伝、フルマラソン、国際マラソンと、徐々にステージを上げては行くが、世間の熱狂とは裏腹に記録にも競技にも興味がなく、ひたすらのほほんと走っている。常に「デハハハハ」「キャハハハハ」と笑っている天真爛漫なキャラは魅力的だが、古くさいというあか抜けないと言うか、30年前の青春ドラマという感じがないでもない。ニュースステーションをパロディにしたユーモアセンスもださい。
しかししかし、走るシーンはさすがに感動的である。そんなに上手いこと行くわけないと思いながらも、感動に引っ張り込まれてしまうのである。純也が甲子園をかけて戦う決勝戦の描き方もすがすがしさが快い。さすがスポーツ小説の手練れだ。しかし、この終わり方はあるだろうかなぁ。
本作の、天真爛漫なスポーツの天才があれよあれよという間に駆け上がっていく構造は「宇宙のウィンブルドン」同様で(こちらは、レシーブもストロークもボレーも出来ず、天才的なサービスエースのみで駆け上がっていくテニス少年の物語)、芸がないと言えば言えるが、スポーツの感動が伝わってくる力作ではある。
「跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ」でこの作家の読者になってから30年くらいになるだろうか。多作ではなく、「雨鱒の川」を上梓してから10年ほど沈黙していて、「翼よいつまでも」で復活したのが2001年のことだそうだ(これも野球青春小説の傑作である)。
古道具屋でアルバイトをするヒトミが、店主の中野さんや、その姉のマサヨさんや、アルバイトのタケオや、ややけったいな客やらとの日常を淡々(あわあわ)と語る連作集。名作「センセイの鞄」と同じように、まったりとして気持ちが良い。
中野さんもマサヨさんも五十を過ぎているようだが、共に稚気あふれる姉弟である。とてもモテそうには思えないのだが、二人ともそれなりに恋愛を謳歌している。
中野さんは「ラブホテルに入るタイミングが上手すぎて憎らしい」と彼女に言わせているような男だが、何故この男がこんなにもてるのか?(笑)。小汚い古道具屋の店主であり、飄々と軽薄な男で、流行り物とは無縁のようだが、それなりに商売の勘があって最後にはネットオークションで成功している。
マサヨさんは家作で食べられる人形作家で、たまに個展を開き、後は中野商店に入り浸っている。年齢相応に小母さんぽいのだが、ユーモラスで優しくて素敵なキャラだ。「男に乗っかられていると、文鎮に押さえられたている紙のような気分になる。」「老眼になると、男と見つめ合うのも少し離れなければならない。」「年を取ってどんどんひとに厳しく、自分に優しくなっているが、相手をなじる時に、次に会うまで生きているのだろうかということを考えてしまう。」等、かなり含蓄のある台詞を口にする人で、これは是非もたいまさこに演じて欲しいなぁと思う。
アルバイトのタケオは、とらえどころのない、影の薄い男である。いじめにより小指の先を失ってやや人間不信になっており、ヒトミと付き合っているのかいないのか、淡泊な関係を持った後、ヒトミの煩悶の種となる(笑)。存在感の薄さが却ってキャラ立ちさせている不思議な男だ。
そして、自家製のエロ写真を持ち込む元教師だの、呪いの器を預かってくれと懇願する若い男だの、不思議な客たちが怪しくて楽しい。
全体に淫靡な気配も濃厚なのだが、嫌悪感を催させるものではなく、少し微笑ましくて切ない。しみじみと味わいのある小説である。
星沢皇児はどうしようもない不細工男だが、ある朝目覚めたら二枚目に変身していた。
親からさえ愛想を尽かされるような不細工男は、「風と木の詩/竹宮惠子」で美に目覚め、アナクロで耽美的な、ほとんど相手にされない少女漫画を路上で売り続けている。
今まで、熱狂的な一人の読者ゲロ子以外には見向きもされなかったものが、ビジュアルを利用したプロモーションによってあれよあれよという間に売れ始め、ついにはメジャー誌でのデビューにこぎ着けてしまう。
外面は醜くとも心は美しい皇児は、としまえんの歴史あるカルーセル(回転木馬)のエルドラドをこよなく愛しており、このあたりの蘊蓄が語られる場面は「下妻物語」でのロリータファッションへの思い入れと同じであろう。
皇児の作品にも大きな影響を与えたこのカルーセルだが、鬱陶しい皇児に共感してくれる女性は少なく、変身して後の人生の歯車が少しずつ狂い始めるのが・・・。
広告の惹句に『「下妻」テイスト』とあったような気がするが、あそこまでぶっ飛んではおらず、また痛快でもない。かといって耽美的な小説群とも違うようではあるし、中途半端な印象だった。