HOME
Libro2009インデックス




岳飛伝(全四巻)/田中芳樹 編訳

水滸伝の少し後、金の侵略にさらされ始めた宋代末期、悲劇の英雄として戦う岳飛の史伝を田中芳樹が編訳したもの。歴史小説というより、西遊記のような講釈物めいた構成になっており、好漢たちの活躍を肩肘張らずに読むことが出来る。

員外(長者)の家の遅い跡取りとして生まれた岳飛だが、生後すぐに生家の一帯が豪雨にが襲われ、母親と共に瓶に逃れて流れ着いた村の員外の世話になりながら成長する。聡明で頑強で大らかで統率力のある岳飛は、一帯の員外の子弟たちのリーダーとなり、また、文武共に優れた師に就いて、才能を大きく開花させていく。

仮の故郷の期待を担って武挙(武官の登用試験)に臨んだ岳飛らだが、王朝末期の中国史ものでは恒例の通り君側に奸臣が侍り、忠臣が遠ざけられて、所を得ぬまま、しばらくは逼塞することになる。この間、金は都を落とし、ついに皇帝は囚われの身になるのが第一巻の終盤である。

金軍に連れ去られた皇子の一人が天意によって脱走に成功、王を継ぎ康王となる。康王のもとに馳せ参じた宋軍は次第に力を発揮し始め、岳飛の指揮下、金軍を撃退せしめるのだった。しかし、康王はかなりの暗君であり、こんなものを旗印にして戦わなければならない岳飛が気の毒になる(笑)。

金の指揮官である四太子・兀朮(ウジュ)は怯懦を嫌う勇猛な軍人であり、人格に破廉恥さがない。岳飛も同様だが性格に明るさがある。この二人を見比べると、要するに銀河英雄伝説のラインハルト・フォン・ローエングラム対ヤン・ウェンリーの構図にも思えてくる。暗君を支えることになってもなお宋朝を守ろうとする岳飛が、俗悪な指導者トリューニヒトを戴く民主主義を信奉したヤンと重なるのである。

第二巻では牛皐の活躍が楽しい。勇猛だが軽率な人物で、先鋒を任されては負けて退却することが多いが、それで死ぬこともない福将である。好人物でもあり、死を覚悟するような場面にも飄々と赴くことが出来る。野に埋もれる好漢たちとぶつかっては負け、しかし岳飛の義兄弟であることを明かし、次々と帰順させてしまうあたり、牛皐の面目躍如である(笑)。全体の雰囲気がに西遊記の構造を借りている感があり、このあたりは悟空の妖怪退治を思わせる。第三巻では牛皐は一時破門のように岳飛のもとを離れ、寺に入ることになるが、俗っぽさを捨てきれず岳飛のもとへ戻る。神仙的な道具立てもあり、まさに三蔵と悟空の関係だ(笑)。

暗君の朝廷を握る奸臣(ウジュの回し者・秦檜)により幽閉された岳家親子だが、詰まらない忠義心のために麾下の忠臣を死なせたりしている。どうしても皇帝に逆らえないのだが、まさに民主主義に殉じたヤン・ウェンリーだなぁ。罠と知りながら勅命には逆らえない、忠義馬鹿正直の岳飛はどうかと思う。この馬鹿正直によって多くの好漢を死なせているのだし・・・。

しばらくの後、第二世代を中心に岳家軍は活動を続け、悪辣な秦檜も悪業の報いを受けて病死、朝廷の病巣が一掃されてついに岳家軍は正式な軍となり、金を退ける。第一世代では牛皐のオッサンのみが元気で活躍していて嬉しい。息子の牛通はおやじそっくりで笑わせてくれる。

長いスパンの物語を駆け足で語った感があり、緻密さには欠けるような気がするが、まずは痛快な物語だ。しかし、最後になって妖術的な要素も出てきて、これは伝記小説ではなく武侠小説だなと考えを改めた(笑)。物語がスラスラ流れすぎている感はあるが、広大な中国大陸を舞台にした壮大な物語は飽きさせない。





HOME