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Libro2009インデックス




空海の風景(上・下)/司馬遼太郎

平安時代、日本仏教に大変革をもたらし、書芸、画芸、文芸のみならず、経済や土木などの分野でも異能を発揮した巨人空海の人生や事績を丹念に辿った評伝文学とでも言うべきか。小説と銘打ちながら著者の考察に終始しているのは司馬作品のいつもの手法だが、創作的部分において「であろうか」「と思える」「に違いない」などの推察語尾を用いるのは鬱陶しい。創作なら創作、考察なら考察と別の書物として創造すればよいのにと思う。がしかし、内容の方はなかなか興味深く面白いから困ったものだ(笑)。

讃岐の豪族の子として生まれた空海は、縁者の引き立てで「大学(朝廷の官吏養成所のようなものか)」に入るが、礼をこねくるだけの儒教に嫌気が差して仏教に転向する。しかし、奈良仏教は理論研究が中心でこれも飽きたらずに出奔、野山に伏してついに独自の境地を手に入れる。詳細に関してはよく分からないが、山岳宗教や陀羅尼の形で日本に入っていた雑密、雑密密教の教義と重なる「華厳経」「大日経」を独力で研究し、一つの大系にまとめ上げてしまったらしい。そして、知識の上で足りない部分を補い、本家密教のお墨付きを得るべく長安に留学したということになっている。

空海は唐において密教の正統である恵果より灌頂を受けるが、金剛・胎蔵の二つの系統の密教を伝授されたことでも恵果が空海にいかに高く評価していたかが分かるらしい。唐では、インド僧不空によってもたらされた密教は一時的にしか受け入れられず、空海が入唐した時が中国密教最後の時代だったようで、天才が幸運を得て、密教が最後に日本で結実したという感がある。まことに特異なキャラクターで、陽性、大ボラ吹き、天才、山師、快男児というイメージが彷彿としてくる描きぶりが魅力的だ。ただ、タイトルにある通り、時代背景や事績を述べることに紙幅が大きく割かれ、空海の行動を描いている部分が少ないのがやや詰まらない。

一方、私費留学生の空海と違い、官費で入唐した最澄は、論である南都六宗は古いとし、経を専らとする天台宗を日本に招来しようとしていた。二度の遷都を敢行した新しもの好きの桓武帝に気に入られており、いわば特権階級の留学僧で、中国で天台宗を学び、片手間のように密教の知識を仕入れて帰国する。密教こそ最新仏教であると思いこんだ朝廷から重用された最澄は、空海より正統な密教の知識を得ようと必死になっているが、空海にとっては片腹痛い話であり、この、密教の二大巨頭の確執に下巻の多くが割かれている。

空海にとって最澄は、権力者に取り入り、密教の果実の美味しいところだけをかじり取ろうとしているように見える存在である。しかしながら最澄は真面目な研究者であり、空海から密教の教典を借り出すことで(筆授=机上の学習である)、何とか密教を我がものにしたいと考えているのだが、日本に散らばる雑密を自力で体系化した空海からすれば、密教は師と一対一で全力で学ぶべきもので、そこをはき違えている最澄とは平行線をたどることになる。千日回峰行の阿闍梨などもいるし、台密というくらいで天台宗も密教だと勘違いしていたが、どうやら密教は天台宗の中の一部門であるらしい。密教の要諦はよく知らないが、宇宙の原理(大日如来)と合一しての即身成仏であるとすれば、机上の学習で収まるものではものではあるまいとも思う。

嵯峨帝に重用され始めた空海だが、二人の関係は文芸サロンでの友人同士のように描かれている。風雅を愛する嵯峨にとって、実際に唐の文芸を知る空海がなくてはならない存在だったようだ。権力者を味方に付けて高野山を開き、入定して後は、空海は生きているという伝説が流布されているが、このあたりのちょっとした解説が興味深かった。大江匡房が見てきたように書いている奇異さが面白いが、この人はよほど怪異好きだったんだろうなぁ。

以前、父親の本棚になった「密教入門」という新書を興味に駆られて読んだことがある。内容は期待とは違い、密教系新興宗教の教祖が自分がいかにして超人となったかを書いた物であったが、この中に虚空蔵菩薩求聞持聡明法が出てくる。山野を渡り歩いて厳しい修行をしていた空海が超絶的な記憶力を獲得した秘法なのだが、今時の「脳を鍛える」ブームに応用できそうな気がする(笑)。そういえば「脳はその1割程度しか活用されていない。催眠効果によって眠っていた脳力を目覚めさせる」式の通販広告が昔の少年誌・学習誌に出ていたが、このあたりとも多少は関係ありそうだ。もしかしてこの通販業者は虚空蔵菩薩求聞持聡明法を知っていたのかも、と今になって思う。

閑話休題、空海の人物と事績と背景と同時代人の有様を描いて非常に読み応えのある大著だったが、小説であるのか、評伝ノンフィクションであるのか、ジャンル分けに悩む。小説とするには主人公の行動や思いは第三者視点で描かれているし、事実に多くを割いている。歴史ノンフィクションとするには想像や空想を交えすぎている。歴史随想とするあたりが適当だろうか。





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