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Libro2009インデックス


談志が死んだ/立川談志+落語立川流一門

落語立川流創立二十周年記念で、家元や顧問や弟子たちのエッセイ、座談会などで構成された、立川流の大まかな流れがが分かる一冊。

立川談志の弟子が落語協会の真打ち試験に落とされて協会を脱退、立川流を創設したというのは知っていたが、それ以前より協会の旧弊さに対して異論を持っていたらしい。そのあたりの事情が弟子から語られて興味深い。

立川談志は落語界の巨人の一人である。ファンも多い。だがその凄さが自分にはよく分からない。普通に面白いとは思うが、どこが飛び抜けているのか疑問なのだ。この一門は談志自身が文筆家であるが、弟子にも筆の立つ者が多く、それを読んでいくと少しその凄さが分かってくる。

上手い落語家や面白い落語家はいるが、上手くて面白い落語家は少なく、その一人であるらしい。また、落語に対する情熱、論として研究する真摯さ、伝統芸能でいてはいけないという危機感、進化するスタイルなど、どれを取っても当代随一ということだ。その凄さに弟子はひたすら傾倒し、少しでも師匠に追いつきたいと願っている。それだけカリスマとして魅力のある人なのだろう。

談志落語は、ファンにとってはアブストラクなのも魅力なのかも知れない。ただ、そこについていけない自分のような者もいる(鑑賞力が低いのだが)。「おれは作品、つまり形式を語っても抜群に上手いんです」と自負しているように、正統な落語を演じてもきっと凄いのだろう。昔のファンはそこに惚れ込んでいたらしいが、どんどん進化するのが立川談志の真骨頂なのかも、と思う。自分は前衛よりは正統が好きな方なので、それで今イチ凄さが分からないのかも知れない。

家元制度も面白い。普通落語家の弟子というと、前座のうちは給料が出ない代わりに、師匠について歩けば小遣いが貰えたり、ということがあるみたいだが、家元制度なので上納金が必要なのである。不払いが滞って破門になった弟子もいるようだ。踊りや生け花やお茶や邦楽などの家元制度では、名取りやらの看板を貰い、弟子を取るようになると、その教授料の何割かが家元に上納される仕組みだと思うが、立川流の孫弟子も同様のことになるのだろうか(笑)。

この本には「立川流はだれが継ぐ」という副題がある。家元もそろそろ年を取ってきているので、談志亡き後、立川流はどうなるかということなのだが、弟子たちは案外ノホホンとしているように見受けられる。おそらく談志のようなカリスマは二度と現れないだろうから、何となく談志の弟子という看板を背負いながら、それぞれ独立独歩でやっていくという総意が感じられる。現在でも、一門で固まって活動しているという訳でもないらしい。

ただ、二つ目、真打ちとなるには、厳しい基準があるので(二つ目なら落語五十席と歌舞音曲、真打ちなら落語百席)、それを通過している弟子はどこへ出しても恥ずかしくないというのが家元の弁であり、だからこそ「談志の弟子」が看板となるのだろう。

立川談春の「赤めだか」は修行の日々を綴って大変に面白いエッセイだが、ここに登場する個性的な弟子仲間も登場し、彼らの奇天烈さが更に明らかにされて立川流エッセイファンには大変楽しい一冊である。

 



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