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Libro2009インデックス


 

間道 見世物とテキヤの領域/坂入尚文

東京芸大彫刻科を中退後、ジオラマや怪獣作成を仕事にしていた著者は、芸大の先輩に誘われてグロテスクな蝋人形の見世物小屋に参加し、後には飴細工のテキヤとなる。本書は見世物とテキヤの業界や旅稼業の実態を綴ったノンフィクションで、真っ当な社会の周辺で行われる、いかがわしく、いささかもの悲しく、しかし活気に満ちた旅の模様が綴られている。

著者は現在、見世物学会の総務局長も務めているらしい。間道というタイトルは、真っ当ではなく、けれども非合法でもない、この世と異界の境界・周縁のことも指しているのだろう。基本的には見世物もテキヤもいかがわしそうな業界であるが、縁日に集まる客はこのいかがわしさに対価を支払うのだろうし、五木寛之は「常民にとって、マレビトである流浪の非定住民はリンパのようなもので、常民にとって不可欠であったろう」というようなことを書いている。

著者の見世物でも最初のうちは大金を掴んだようだが、同じ出し物ではやがて飽きられてくる。「ネタバレしたらずらかれ」が合い言葉だったそうだ(笑)。

この業界には極道もいるそうで、合法と非合法の境目という点でもかなりいかがわしい。神農黄帝を祀るテキヤは神農道とも言われ、以前、「犯罪者となってもテキヤは露店商という肩書きが付くが、極道は無職である」と自慢するテキヤの記事を読んだことがあるが、昨今は暴力団の傘下に入っているテキヤ団体もあるようだ。

歴史や民俗学の方で「アジール」と言われる、公権力の及ばない聖域(寺社の境内や色町、商人町など)があるが、出張してきたテキヤから手数料を受け取って地方の元締めが管理している土場などは、多少はアジールの気分を残していそうだ。そして権力者は常にアジールを潰したがっているわけだから(信長と堺の関係を思い起こす)、縁日に介入する取り締まりも一種のアジール潰しのように思えてしまう。

役人とか医療関係者とか法曹関係者とかプロの運転手とか政治家などは真っ当でなければ困る。しかし、真っ当な人ばかりでは窮屈だ。胡散臭さの感じられない世の中は魅力がないし、間道というニッチに生息するテキヤがいなくなるようでは詰まらないなぁ。

後書きに「カンドウ【間道】 関道とも。わき道、抜け道、隠れ道、裏街道。地図にない間道はずっと昔からあった。ここを三寸ひとつで商売するコロビが祭りが終わるやいなや、ネタバレを恐れて夜を走る。見世物屋も馬賊もサンカもそして忍者や獅子舞も、この見えない間道をひたすら通り抜ける。」とある。三寸は露店、コロビは露店商のことだが、周縁好きにとって何と魅力的な文言だろうか(笑)。



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