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Libro2010インデックス




晏子/宮城谷昌光

春秋時代の斉の公室を親子二代にわたって支えた晏弱・晏嬰の活躍を描いた中国史小説である。

斉の国は、太公望の建国より不可侵の大国として存してきたが、二大強国となった晋と楚のどちらに付くかで揺れ動いているような状態となっていた。そして、晋からの使者を揶揄したことで恨みを買い、屈辱的な外交政策を採らざるを得ない中、様々な死地をくぐり抜ける晏弱の声望が高まっていく。

斉の中級貴族である晏弱は、宋(元に滅ぼされた宋ではない)より亡命してきた公族で、知謀と勇気と情意を兼ね備えた人である。斉公室を補佐する高固が晏弱を重用したことで徐々に出世の道を辿るが、晏弱の思いはひとえに忠誠にあり、戦争で鬼才を発揮する割りに実に清々しい人柄で、ここに敵味方を問わず好漢同士の気持の良い交誼が表現されるのである。読んでいて実に気持ち良い。

序盤で目を惹く人物は高固と崔杼である。当初、高固の参謀として登場する晏弱は、様々な献言を行うが、思いこみの激しい高固はなかなかこれを受け入れない。臆病と猪突が同居する性格で戦い方に疎漏があるが、卑怯な男ではなく、晏弱は手こずらされるつつも敬愛しているのである。

崔杼は、かつて斉公の側近で、高固と国佐に逐われて衛に亡命していたが、功を見せることで斉に返り咲いている。冷酷で怜悧で功利的な男だが、晏弱のことを評価しており、時折限定的な好意を見せたりもする複雑な描き方が面白い。

晏子親子は四代の斉君に仕えたが、晏弱が主に仕えた霊公は、やや軽躁の気味はあるものの粗暴ではなく、晏弱と崔杼に国政を任せ、無難に君臨してきたが、周王室に頼られると晋を平らげてしまいたいという色気を持ち始め、晏弱の立てた計画を聞かずに暴走して国を衰亡させる。本当の意味での名君は、霊公の前の頃公までだったという設定だ。

霊公は、粗暴の評判のある皇太子を嫌って廃嫡し、愛妾の子である公子牙を立太子するが、廃嫡された皇太子は崔杼が傅役として養育してきた行く立てがあり、そして継嗣を補佐する勢力の権力争いと相まって、公子牙側を倒して、廃嫡された太子光に皇位継承させる。そうしてせっかく盛り立てた太子光(荘公)だが、崔杼の恨みを買うような卑劣な真似をして、最後に滅んで行く。

この後も血なまぐさい権力闘争が続くが、この醜い争いの中で独り超然としていたのが晏弱の嫡子・晏嬰である。子供の頃より矮小な体躯で人に侮られがちだったが、気組みは大きく、血と勇と情は父親譲り、なおかつ節義を絶対に曲げない頑固さを持っており、社謖(国家)への絶対の忠誠心を維持し続けている。悪逆な荘公に対しても諫言を辞さず冷遇されるが、その死を一番に悼むのも晏嬰である。

荘公の後を継いだ景公も、決して名君ではないが悪逆さはなく、晏嬰を信頼し、親昵する。教育をされずに育った無邪気な子供のような景公に対し、礼や君公の在り方を説く晏嬰は、時代小説に登場する口うるさい家老のようであるが、この風景はちょっと微笑ましかった(笑)。孝と忠を貫き通した、実に痛快な晏嬰の生涯である。

優れた人格の主人公がいて、これに感応するやはり秀でた者たちの「男が男に惚れる」的な描写が頻出するのが宮城谷作品である。そしてことあるごとに登場人物たちの高邁な思想や倫理、行動哲理、道徳、言動や挙措の清明さなどをもったいぶって描写する。説教臭くて鬱陶しいと思う反面、やはりこれらの描写が宮城谷作品の魅力なのだろうなぁと思う。司馬遼太郎の後を継ぎ、「歴史や武将にビジネスの要諦を学びたい読者」の教科書のようになっていると思われる宮城谷作品にこれらの描写がなければ、やはり売り上げは落ちるのではないだろうか(笑)。





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