カルトな人気のあった漫画家が、仕事に行き詰まって二度のホームレス生活を送った実録マンガ。
プライドもなく拾い物をして生活していたかと思うと、手配師にガス工事の下請け会社に送り込まれ、いつの間にかその道のプロになったりしている(しかも親会社の広報紙にマンガを投稿したりしている(笑))。二度とも、警察に連行された際に捜索願が出ていたことから連れ戻されているが、この間の事情を、いつものややとぼけた筆致で描いていて、ファンの刑事からサインを求められたりするのも笑わせる。
駆け出し時代を振り返り、いかに意に染まない仕事をさせられていたかや、アル中になって入院した病院の実態など、ハードなことをコミカルに描き出すあたりがプロの技術か。思えば不条理なギャグマンガはこの人の十八番だったはずだ。
強制的に軍隊じみた生活をさせるアル中病棟、入院患者の中でリーダーになっているT木女史の、集会室でお祈りしている修道服姿の不可解さなど、世の中はやはり不条理だ(笑)。
ホームレス生活というのは、この世とあの世の境目のような、一種マージナルな領域であろう。そういう異界と不条理が実にマッチした傑作である。
どうでもいいような微罪なのに、(本人の言うところによれば)判事の悪意によって二年間の獄中生活を余儀なくされた著者が、収監された初日からを詳細に綴った獄中日記。さすが、転んでもただでは起きない(笑)。終始一貫して自分は嵌められたのだと主張し、家族への愛情と感謝を縷々綴っているのは、ややいい子ちゃんかなという気もする。大体、売春婦とのスキャンダルが問題になった人なのだし・・・。
他の受刑者たちについて語っているのが興味深いが、受刑者というのは、特異な閉鎖空間における特異な人々なのだから興味深くて当たり前だとも思う。
蛍光灯から電力を取り出す特殊な技術を語る奴、
事業に成功してはそれを手放し、忙しさのために離婚する羽目になった男は、恋人が大麻の売人一家の一員だったため、ついファミリービジネスを手助けして逮捕された事情、
リスナーと呼ばれる世話役模範囚がさらされてきた虐待の過酷な経験、
きちんとした教育を受けていれば能力を発揮できるような優秀な受刑者、
などが手練れの筆致で綴られている。微罪なのに重罪犯と一緒にぶちこまれた普通人への義憤はいかにも政治家らしい。
全体をダンテの神曲になぞらえてこの次は煉獄篇があるらしく、これも読みたいものだ。
瀬戸内海の海民の子孫である著者が、古代より卑賤視されてきた海民の歴史と実情を語る。家船を始め、隆慶一郎の諸作に登場するような「道々の輩」とも重なる非定住民の世界は、とても歴史的なロマンをかき立てられる。
農耕のできないような狭い土地で漁をして暮らし、それも権利があったりして自由には捕れない。それで通行船を襲うようになったのが海賊の始まりであるらしい。藤原住友を描いた「絶海にあらず」にも出てきた越智水軍→河野水軍→村上水軍の流れなど、まさに歴史伝奇の趣だ。河野水軍の祖は、越智一族の長が越の地に置いてきた忘れ形見である、などという伝説も興味深い。踊り念仏の一遍の出自も河野氏であるらしい。殺生をするからと当時の仏教から排斥されていた海民山民に救いをもたらしたのが一向宗であるなら、何か因縁を感じさせる話である。
瀬戸内の海民には「阿曇系」「宗像系」「住吉系」「隼人系」があるそうで、これらの蛇信仰と、河野氏の蛇婚姻伝説とが重なって、否が応にも歴史ロマンがかき立てられる。蛇の入れ墨を入れるという海民の習俗は、元々江南から入ってきたものではないかという。
中世には、警護・傭兵などを業務としていた水軍は、秀吉の海賊停止令によって解体に追い込まれ、そして、被差別階級へ落とされていったのではないかというのが著者の推論だ。そして遊女をのせた船「おちょろ船」の悲しい記述で幕を閉じる。農耕民ではないと言う理由で卑賤視されてきた瀬戸内海民がつぶさに語られていた。
二大悪所、色町と芝居町の成り立ちを、お得意の周縁・被差別・河原者などを交えて説き起こしている。この手の「道々の者」的な話は大好きなのだが、評論家の小谷野敦は、遊女に聖性を求めるのはファンタジーであると断じている。
芝居の祖である出雲の阿国の芸が遊女歌舞伎だったとするなら、売春も芝居も、同じルーツを持つことになる。
芸能・エロス・巫術がひとつものだった中世の白拍子・傀儡女まで遡り、後白河や後鳥羽が、性愛の持つ聖性を求めて卑賤の遊女を寵愛した例を引いているが、改めて説かれてもなぁという気もするし、遊女にそこまでの異能があったのかとも思う。こういう混沌とした時代にはもの凄く魅力を感じるし、周縁の芸能民、商工民の歴史にも魅了されるのだが・・・。
江戸時代、浅草に封じ込められた色町と芝居町だが、信仰の対象である浅草寺があり、見世物・興行小屋があり、いかにも「悪所」の魅力に満ちている。ただ、政道批判でありがちな芝居に庶民が熱中したのは、卑賤の世界に反権力のエネルギーが溜まっていたからだとするのは面白すぎるような気がする。
江戸の婦女子が熱狂した歌舞伎役者も、男達が通い詰めた吉原も、共に幕府の差別政策の対象であり、著者はその辺に反権力のエネルギーを見ているようだが、単に娯楽であり、性欲の捨て所であったような気もする。ただ、三ノ輪に火葬場があり、吉原で精進落としをしたなどという話もあるから、遊女に浄めを求めたということがあったかもしれない。
明治後の悪所については、永井荷風の例が哀れを誘う。やがて滅びていくものへの哀惜だろう。
著者は、被差別・周縁・芸能・流浪民などをライフワークにしているが、専門の研究者というより愛好家という感じなのだろうか。反権力をより所にするのも、どこか左翼の尻尾めいたものを感じたりする。しかしまぁ、中世の流浪民好きとしては興味深い一冊だった。
この著者には「幻の漂泊民・サンカ」という著作もある。柳田国男などの民俗学者がサンカの由来を中世に求めていたのに対し、幕末の飢饉時に山に逃げ込んだ農民の末裔であると論証していて説得力がある。道々の者的な伝奇性を期待する歴史ミーハー(オレ(笑))にとってはとってはやや物足りない面があったりするが、これはこれでとてもスリリングで面白いノンフィクションだった。
最近、朝日夕刊のマリオン欄に江戸のマナー「江戸しぐさ」に関するコラムが出ており、興味があって読んでみた。著者はマーケティングか何かの会社の経営者らしいが、「江戸の良さを見なおす会」の芝三光(しば・みつあきら)氏に教えを請い、江戸しぐさの詳細について聞き書きしたものだそうである。著者には老人が豊かに生きる社会についての著作もあるらしく、その辺で江戸しぐさに共感したものらしい。
マリオンには「肩引き」「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」等の江戸しぐさについてが書かれているが、これらはあくまで型に過ぎず、その奧にあるマナーの精神が「江戸しぐさ」なのだそうだ。江戸の大店商家の道徳だったらしい「江戸しぐさ」は、共倒れを防ぎ、共生するための知恵でもあるそうだが、これを突き詰めていくと今時の談合につながりそうな気もする(笑)。今日的な自由競争とは反対側にある精神なのだろう。
「ひとを見たら仏の化身と思え」という謙虚さ、他人の異なる意見を尊重する尊異、プライバシーを問わない「三脱の教え」は先入観より己の目利きを大事にせよという教訓、子供は大人の席に侍らせることで、大人のマナーを自然に身につけさせたことなど、古き良き価値観が匂い立ってくるようである。
江戸っ子に生まれるのではなく、江戸しぐさの精神を身につけることで江戸っ子になったのだそうで、そのためには三代を経る必要があると言うことらしい。このことから言うと、江戸っ子を自慢し、田舎者を「どこの在(ぜぃ)から出てきやがったんだい!」などという台詞で蔑視する自称江戸っ子などは偽物に思えてくる。
大体が「いなかっぺい」という言葉は、「井の中の蛙」の蔑称である「井蛙っぺい(せいあっぺい)」から出たそうで、視野の狭隘な世間知らずを謂いらしい。江戸しぐさを知らない地方出身者がいれば却って親切にしなければならず、となるとは見当はずれなことになる。
ちょっとしたしぐさや目の動きで意思を伝え合うことが出来るかを問われるのも「江戸しぐさ」で、これが秘密結社のように現代まで連綿と伝えられてきたらしいが、謙譲の精神の団体なので、文字にすることをはばかってきたそうだ。このあたりも何か特殊なスリルを感じさせる。
江戸には講(座)と呼ばれるコミュニティがあり、ここで江戸しぐさが物を言ったということだが、思い出すのは熊本の「花連」である。江戸時代の大名家から始まる園芸サークルには栽培の秘伝があり、それをマスコミが取材しようとしても頑として拒否していたそうで、似たものを感じさせる。
「江戸しぐさ」の踏み絵として、「初物を愛で、ご祝儀相場をつける」「(調子に)乗り過ぎても声援する」「新人、新顔を歓迎する」「新しい物に好奇の目を向け、真っ先に取り込む」「ものごとを陽に解釈する」などはベンチャーの精神でもありそうだ。奥床しく、楽観的で、いたずらに他者を排斥しない、このあたりに「江戸しぐさ」の真髄があるのだろう。著者の手紙に対する芝氏の返信などは、折り目正しくて洒脱で、この精神の真骨頂である。ただ、そこには、儒教の精神にも通じるような窮屈な管理主義も見て取れるような気がするが、どうだろう。
杉浦女史が江戸の生活やファッションや食を語った「ごくらく江戸暮らし」と、テレビ版組の講義録「ぶらり江戸学」を一冊にまとめたもの。江戸の楽しさ、面白さが興味深く綴られている。
・枯野見、氷鉢見(凍った池を眺めて楽しむ)、杉聴き(杉の伐り出しの音を聴いて楽しむ)など、風流なのか酔狂なのか分からないような行楽、
・二両という値段に、大店は見向きもしないものの、庶民が飛びつく初鰹、
・その日暮らしのフリーターのような江戸庶民、
・長屋は寝る場所であり、町全体を己の居住場所にしていた知恵、
・庶民がスポンサーになる花火、
・モノトーンの中にキメ色が映える江戸ファッション、
・すね毛やビキニラインを気にした若者(男)たち(笑)、
・隠居してからが本当の生活で、老人が敬われ、若者にとっては人生の師であったこと、
・互助の精神で豊かな者が貧しい者の面倒を見たこと、
・災害の後、小さな善行を探し出しては無闇に顕彰した奉行所(ご褒美は微々たるものですが、その精神が嬉しいじゃありませんか(笑))、
・後生願いというボランティア精神、
・「御飯」とは朝一番の炊きたて飯であり、夜は防火のために火を落とし、冷飯を湯漬けにして食べていたこと、
・お手軽なファーストフードであったにぎり寿司、
・元来は輪切りに粗塩をふって焼いただけだったうなぎの蒲焼き(肉体労働者のスタミナ源だった)、
・「宵越しの金は持たねぇ」とうそぶくのは、それだけの金がなかったこともあるが、大火で焼けてしまうおそれもあるから、ため込まずに使ってしまおうという意思の表れだったこと、
・蕎麦は食事ではなく嗜好品だったこと、
・屋台で長っちりは野暮だったこと、
・物価が高かったので、買った物を最後まで使い切ったこと、
・道は公共スペースなので、走ったり立ち話をしたり荷物を放置したりしてはならず、基本的に歩くだけであったこと、
・故に大八車の使用には許可が必要だったこと、
・水路は物資輸送用だったこと、
・災害の際には細かな情報を採取してはまた市民に口頭で説明し、無闇に不安にならないような措置を執った危機管理システム、
・(理想的な)ゆとり教育を地で行くような寺子屋制度(あやまり役という子供がいるのが笑える)、
・礼だけはきちんとしつけたこと、
・粋は息であり、吸ったものを吐き出して吐き出して、最後に残ったところに一つつけるものだったこと、
・恋愛や結婚は女性優位で、間男も頻繁だったこと、
・「恋」を突き詰めていくと「色」になり、本気一歩手前の恋愛が粋だったこと
などなど、江戸の信条の面白いこと楽しいこと(笑)。
ただ、この裏には、身売りや下等な遊女、寺請制度、身分制度など、人権に関わる問題もあったと思われ、良いことばかりではなかったとも思う。江戸をユートピアとして描いているが、事実の良い面ばかりを協調しているとも思われるし、一種のファンタジーでもあろう。それでも、ゆとりと楽しさに満ちた江戸を体感できる好エッセイである。
寄席芸で江戸の売り声を持ちネタとしている著者が、江戸の売り声や浅草について語った聞き書きである。
昭和40年代までは流して歩く振り売りの売り声が聞かれたそうだが、そういう生の体験があればこそ、芸としても生きてくるのだろう。啖呵売、泣き売のような香具師の手法から、サクラソウや朝顔を売り歩く江戸の苗屋まで、扱う範囲は幅広い。
自身が江戸の商売についてもよく勉強しているようで、守貞漫稿を引用しながら解説している。惜しいのはやはり文字で読んでも風情が伝わらないことだが、付録としてCDが付いており、情緒のある苗屋、けたたましいはしご屋、妙に明るい薬売りなど、とても楽しく聴くことが出来た。
売り声の歴史は、中世の芸商人に遡るというのが新知識である。寺社や辻角などで、何か芸をして見せた後に物を売ったそうで、ガマの脂売りや紙芝居に通じるような気がする。ああいう世界も連綿と歴史が繋がっているのだなぁ・・・。
昨今の売り声と言えばさおだけ屋と石焼き芋だが、大音量で流して回る奴らには、風情など欠片もない。特に石焼き芋など、夜の9時過ぎに非常識な音量を出しており、迷惑この上ない。江戸売り声の風情でも見習え!と言いたいものである(笑)。あ、家電無料回収というのもあったなぁ・・・。
秘書給与流用詐欺で逮捕された元国会議員が、己の犯罪の来し方と、障害者の世話係を命じられた獄中の日々を綴ったノンフィクション。障害者の収監問題にも一石を投じて話題になった本だ。
妙に漢語を多用した文章は自己陶酔的だし、一方的な記述だから偏りがあるような気もするが、学歴も経歴もある受刑者の生活はそれだけで興味深い。妻と生まれたばかりの子供を残しての収監だから、哀れさはこの上ない。
多少の後ろめたさを覚えつつも事務所経費のために秘書給与を流用し、それがマスコミに明らかになったのは、この一件を持ちかけてきた人間(私設秘書)のたれ込みによるものだったらしい。長年の慣習だからと甘く考えていたようだが、昨今の、ライブドアや村上ファンドや談合の摘発などを見ると、ルール破りは通用しないご時世になってきているような気がする。
逮捕前に議員辞職しているし、本人も弁護士も執行猶予のつもりでいたようだが、意外にも1年半の懲役刑。控訴審で戦うよりも、早いうちに罪を償っておこうと考えた著者は、違う世界を覗いていみるのも一興という好奇心もあったようだが、犯罪者へのペナルティは出所後にもついて回ると言うことで、決して甘いものではなかったようだ。
反近代的で人権無視の獄中生活は、読むだに気分が重苦しくなる。そもそも監獄法という明治に制定された法律が囚人生活の根拠になっていて、時代錯誤も甚だしいらしいが、人権を剥奪されるからこその刑罰でもあるのだろう。
福祉を政治活動のライフワークにしていた著者は、囚人達の相談にも乗ったりしていて、やがて寮内工場と呼ばれる、障害者を集めた工場の指導補助に配属される。精神障害、知的障害、身体障害、認知症などがあり、普通の懲役刑を受けられない囚人たちの世話係をやらされるのである。汚物の処理や食事の世話や清掃まで、ホームヘルパーのような生活だったらしい。
指導補助仲間に、有名な患者虐待事件で逮捕された人間がいたようで、障害者への差別的言辞を平気で口にしながら汚物の処理など率先して体を動かしていたりするらしいから、人間はやはり複雑である。
この経験を生かし、昨今は障害者福祉の世界に生きているらしいから、人間は幾つになってもやり直せるものだと思う。同じ罪で摘発されながら、著者を引き合いに出して「カツラを買うなどの私的流用はしていない。」と事実誤認の弁解をしていた辻元清美に対し、法的措置も辞さないと憤り、彼女の人権意識の薄さを露呈したと激しく糾弾しているが、執行猶予でいけしゃあしゃあと政治家に返り咲いているのを見ると、やはり人間の底が浅いなと思う。