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時代・歴史小説2006年










弥勒の月/あさのあつこ    海覇王/荒俣宏    柳生雨月抄/荒山徹
竹千代を盗め/岩井三四二    無事、これ名馬/宇江佐真理
三日月が円くなるまで/宇江佐真理    安徳天皇漂海記/宇月原晴明
惡忍/海道龍一朗    後北條龍虎伝/海道龍一朗    カポネ/佐藤賢一
褐色の文豪/佐藤賢一 女信長/佐藤賢一    青雲遙かに 大内俊助の生涯/佐藤雅美
樓岸夢一定(ろうのきしゆめいちじょう)/佐藤雅美    怒濤のごとく/白石一郎
海賊モア船長の遍歴/多島斗志之    花はさくら木/辻原登    悪いやつら/東郷隆
おまけのこ/畠中恵    ゆめつげ/畠中恵    うそうそ/畠中恵    海国記/服部真澄
黄金の華/火坂雅志    青き剣舞/花家圭太郎    七姫幻想/森谷明子    早春賦/山田正紀
深川黄表紙掛取り帖/山本一力    紅無威おとめ組/米村圭伍

鹿鼎記/金庸



弥勒の月/あさのあつこ

「バッテリー」などで人気の児童文学の旗手あさのあつこ初の時代小説である。商家のおかみが掘り割りに身を投げて自殺した事件を、変わり者の同心が探っていくというミステリアスな趣。

木暮信次郎は伝法で冷酷で無神経な同心である。岡っ引きの伊佐治(ぐれた過去のある実直な初老男)は信次郎の父親の代からの付き合いで、信次郎とは肌が合わないものを感じているが、結構いいコンビのような気もする(笑)。

掘り割りに身投げした女性は、小間物問屋遠野屋の家付き娘りんで、信次郎と伊佐治は、引き取りに来た婿養子の落ち着きぶりに胡乱なものを感じる。遠野屋も「単なる身投げではないはずだ」と探索を依頼しており、遠野屋とその周辺を探る主従である。

一癖ありげに見える遠野屋の過去には何があるのか?「弥勒の裳裾を握る」という遠野屋の思いが切ない。遠野屋の過去と伊佐治の過去をダブらせてなかなか上手い。事件の不気味な真相、信次郎も結構いい奴じゃないかと思わせるような描写など読みどころも多いが、耽美的で凄絶さを狙ったような文章はやや大げさかなとも思う(京極夏彦の模倣のような気もする)。

パッチワーク・プラネット/アン・タイラー」を激賞していたメルマガで、文章が固くて漫画っぽく、事件の真相もありきたりだと恐ろしく酷評しているが、そこまで言うほど悪くもない。ミステリアスな時代小説で、人物描写も上手いと思うし、初の作品としてはそれなりの出来ではないか。これだから他人の感想はあてにならない(笑)。

それにしても、「鬼平犯科帳/池波正太郎」、「髪結い伊三次/宇江佐真理」など、どうして時代小説の岡っ引きや密偵や下っぴきにはイサジが多いのだろう。それぞれが先達へ敬意を表しているのだろうかと思ったりする。










海覇王(上・中・下)/荒俣宏

海覇王(上) 海の巻

元に滅ぼされた明国を憂い、オランダが占領する台湾を明復興の拠点にしようとした鄭成功の物語。鎖国政策に揺れる江戸初期の長崎・平戸の海商、高砂(台湾)を占領するオランダ、明の海賊の三つ巴の戦いを描きながら、平戸に生まれた混血の二世たちの成長を交えている。

物語の発端は、猩々女と呼ばれる妖怪退治に出かけた剣術指南・花房権右衛門とその弟子・鄭芝竜(成功の父が出くわす怪異である。松浦家から人質として出されている若者の生き霊が取り憑いた許嫁(キリシタン姫)が夜な夜な出没するというなかなかホラーな趣で、これが主要なテーマかと思えばさにあらず、猩々女は生きた媽祖様として芝竜の船に乗り込んでしまうのだ。水軍好きとしては、海将と海賊を扱き混ぜたような倭寇たちの活躍は面白くてたまらない。

国際都市であったが故に混血児として生まれてきた成功たちだが、かつての日本にそういう町があったことが面白い。外人嫌いや島国根性とは別の時代があったんだろうなぁ。この混血児達の成長が描かれるとしたら楽しみだ。



海覇王(中) 覇の巻

8才にして父・芝竜のもとに引き取られた福松(後の鄭成功)は、母と別れさせられた悲しみから反抗的な少年になっている。かつて明と敵対した父・鄭芝竜は王室と和解し都督の地位を手に入れ、福松を科挙に合格させて官僚となることを夢見るようになっていた。平戸から猩々女を連れ出した快男児が、とんだ俗物と成り下がった感がありやや残念。

清の侵攻に敗れた明は逃亡王朝を樹立しているが、芝竜が今度は清に取り入ろうとしているのを軽蔑する福松は、武士道の忠義とキリスト教の孝に凝り固まった倫理観で、明王朝を支えようとする。そして成功の名を賜り、父から覇権を奪い取るのだった。

常に倫理観で張りつめていて余裕のない成功にはあまり魅力が感じられない。水軍、倭寇、海賊、海商には、もっと自由を求めて欲しいものだ。その点、己の身の栄達しか考えなかった芝竜は、実に福建の海洋民らしかったと作中にも書かれている。



海覇王(下) 王の巻

水軍の有力者を味方に付けて各地で連勝し、南京まで攻め上がろうとした成功だが、焦りと余裕の狭間で敵の罠にはまり、大敗して敗亡することになる。この途次、父を見捨てた猩々女アンジョが現れ、成功に麻薬を与えうつつの世界を連れて行く。己の将来を幻想の中に見た成功は、高砂を拠点にすることを計画、オランダを追い出し、一応は独立の拠点を確保するも、麻薬による荒廃と妙な倫理観に縛られ、徐々に破滅の道を辿っていくのだった。

うーん、どうもカタルシスに欠ける物語だ。成功の好色な嗣子が近親相姦を侵す筋立てなど、何故に必要だったのか。破滅する成功の後を襲う者として、それまで愚物として描かれていた嗣子が何故急に雄々しくなるのか。基本的な骨格が出来ていない感じである。題材は良かったのになぁ・・・。

こうなれば同じ題材を扱った「怒濤のごとく/白石一郎」を読んでみずばなるまい。








柳生雨月抄/荒山徹

 

霊能があり、さらに宗家柳生宗矩を凌ぐほどの腕前でもある、京都の陰陽師家に養子に入った柳生友景を主人公に、朝鮮の妖術師との戦いをおどろおどろしく描いた時代伝奇である。友景は以前にも登場しているが、その時には十代で美貌でサイキックで剣の達人であり、時代伝奇の主人公にぴったりだと思ったものだ。今作では成長して男盛りになっている。

別の荒山作品で、朝鮮の妖術師が崇徳院の霊を呼び覚まして日本に災厄をもたらそうとしたことがあるが、その時に立ち会っていたのが友景である。「われ日本の大魔縁たらん」と欲した崇徳院だが、愛国心に目覚めのたのか、今作では再びの朝鮮の侵略を察知し、これを防がんとして友景を使おうとしているのである(笑)。このあたりのグロテスクなユーモアは、西村寿行の後期バイオレンス小説を思わせる。

朝鮮の妖術師は光海君の側近でもあり、庶腹で立場の弱かった光海君を押し上げた功労者でもある。日本への侵略を企み、さまざまな悪辣な手を打ってくるコンビは、「影武者 徳川家康/隆慶一郎」の秀忠・柳生宗矩コンビを意識しているに違いない(笑)。そういえば、隆慶(ユンギョン)先生という端役が登場したが、あまりと言えばあまりな扱いよう・・・(汗)。

徳川にたてつくことを貫いた淀君も、関ヶ原で豊臣を裏切った小早川金吾も、本田正純の宇都宮釣り天井も、徳川を潰して日本の戦乱状態を継続させようとする朝鮮側の策略として描かれているが、友景はこれを丹念に潰していく。驕慢だが賢明な女傑・淀君の、子供への思いが切なく描かれ、この辺は上手いと思う。

柳生一族で朝鮮に渡った久三郎純厳の妻子が柳生新陰流の使い手となっており、朝鮮側謀略の手先に使われているというのがこの小説のポイント。友景は朝鮮に乗り込み、霊能力も駆使しながら最後の対決に雪崩れ込んでいく。

難点は幾つも数えられる。古代日本を中心にした地理・歴史観は右翼的で辟易するし、プライドと劣等感がない交ぜになって日本を侮蔑する朝鮮側の描き方も短絡的である。霊的諜報網、霊力発信基地、霊的枢軸同盟などという言葉遣いは、安手のオカルトSFみたいでいただけない。「恨(ハン)の流れ」でハンリュウ、男装の剣士「呉叔鞨」「安兜冽」、蛾の化け物で「慕叔蠡」などというお遊びもいかがなものだろう(読みは想像して下さい(笑))。却って興趣を削いでいるような気がする。

戦国・江戸初期の日朝のしがらみを軸に、おどろおどろしい妖術対決を織り込んだ伝奇が得意の著者だが、正直なところ「魔岩伝説」「十兵衛両断」のように、物語の核になる大がかりなネタがなく、日朝の妖術対決だけでは弱いかなと思う。それでも、血縁の柳生剣士二人(どちらも美貌(笑))による対決の迫力と美しさがそれを補っていた。










竹千代を盗め/岩井三四二

桶狭間で、織田に今川が大敗し、松平元康(後の徳川家康)が今川から離反し始めた頃、甲賀の忍・伴家一族に、元康麾下の酒井雅楽頭が、今川の人質になっている元康の妻子を救い出してくれという依頼が来る。

頭領の与七郎は、喜び勇んでこの仕事を引き受けるが、実際に手を付けてみると元康妻子は駿府の松平邸にはおらず、今川配下の隠密組織に襲撃されて這々の体で逃げ帰ってくる羽目に。どうもこの仕事には裏がありそうだと睨んだ与七郎は、依頼された任務と共に裏の事情も探り始めるのだった。

分家の冷飯から本家の婿に入った与七郎のキャラが面白い。一族を束ねて喰わせていくのは大変で、幹部からは軽んじられ、何とか稼ぎを得ようと必死になっている。与七郎自身も二流の忍びであり各所で失敗ばかりしているが、その辺が却って愛敬だ。ここには超人的な活躍をする忍者は出てこないのである。与七郎は家に居場所がないので、馴染みの歩き巫女との情事に耽っているが、このイチイという気の良い巫女が偉い。挫けそうになる与七郎を支え、駄目忍者を奮い立たせる起爆剤ともなっている。

この作家は、「月ノ浦惣庄公事置書」「十楽の夢」などのように、労苦を強いられる戦国期の庶民の姿を描き出すのが上手いが、本作に登場するのも、超人的な活躍をする忍者ではなく、請負仕事で細々と食いつないでいる土豪であり、「月ノ裏…」同様の感じがある。戦国期の人質になる子供の扱いが哀れだが、全体にユーモラスなのが救いだ。










事、これ名馬/宇江佐真理
06/2/23

「頭、拙者を男にして下さい」と、は組の頭・吉蔵のもとへ武家の子供・太郎左右衛門が弟子入り志願してくる。臆病者で覇気がない己を恥じてのことらしい。最初は面食らった吉蔵一家だが、子供の一途さが気に入り、一家で可愛がるようになる。火消しの家族と、その家に出入りする変わった坊っちゃんとの交流を描いた、甘すぎない人情時代小説である。

太郎左右衛門は「春風ぞ吹く」の五郎太の息子で、ヒステリックな母親からすると甲斐性なしに見えるらしいが、その優しさを周りの人から認められてもいる。必死で勉強し、小普請組から御番入りした父親と異なり、剣術も学問も大して目が出ないが、大過なく、平穏無事に生き抜いていけるだろうということで「無事、これ名馬」のタイトルになっている。やはり「春風」の気質だろうか(笑)。妹に「好きよ たろちゃん」などと呼ばれていることからも兄としての権威のなさが読みとれるらしいが、吉蔵一家も「たろちゃん」と呼んで、この子を可愛がるのだ。

太郎左右衛門の友人は学問吟味に落ちて自害しているし、母親は干渉しすぎの教育ママだし、かなり現代の世相を写しているような気がするが、こういう作り方はあまり好きではない。時代物らしい雰囲気を楽しみたいのだが、時代小説というのは、案外昔から現代とリンクさせているような気もする。

吉蔵の娘・お栄は気の強い頑固娘で、従兄の金次郎と恋仲だったが、金次郎が別の娘を妊娠させてしまったため、吉蔵は我が娘に引導を渡し、別の火消しを婿に入れている。未だに金次郎のことを引きずっているお栄だし、金次郎は思わせぶりなことを言うし、決して平穏な夫婦ではないのだが、それでも家庭を守ろうと必死な栄が健気だ。近所の小母さんが認知症となり、栄が手伝いに通うことになるが、このあたりも昨今の介護の問題を思わせる。

太郎左右衛門が成人し、吉蔵が亡くなるまで二人の交流は続くが、年の離れた二人の関係がとても心地よい。辛いこと悲しいことも描かれており、甘いばかりの時代小説ではないのだが、やはり気持ちよい人情物だった。










三日月が円くなるまで/宇江佐真理

東北の大藩であった仙石家は、戦国のどさくさに家臣島北に独立されて藩領の肥沃な土地を奪われ、江戸の現在に至るも角逐を繰り返しているが、一橋家の賄賂の要求を断ったところを島北が横取りして面目を潰された上に、島北が版図を拡大しようとしている気配が伝わってきて、藩主は病の床に就いてしまう。義憤に駆られた在郷藩士の子息・正木正左右衛門が島北藩主の首級を挙げると飛び出すや藩内は喝采し、藩の重役である刑部秀之進は子息小十郎にこのサポートを命じるのだった。

主人公小十郎は、人は好いながら堪え性がなく、学問も剣も凡庸である。父親の命に従い、父親の懇意にしている町屋に落ち着くが、武家のプライドやしがらみや家というものに疑問を覚えている。それほどにして守るものかと思っているのだ。家主の娘ゆたとの交情が情緒豊かに描かれ、恐らくこのまま町人になって夫婦になるのだろうなぁと思わせるが、そう都合良くは展開しない。

人間として凡庸な小十郎を、父親は最初から使い捨てにするつもりだった節があり、藩や父のあまりの理不尽さに怒りを覚える小十郎だが、思い切って致仕することも出来ない。小十郎の家主・八右衛門も、かつては長崎奉行に下役で、上司の言うままに抜け荷に加担して追放された身なのだが、お勤め上の理不尽にさらされながら生きなければならない姿は、やはりサラリーマン社会を映しているのだろう。談合と天下りのバーターを代々引き継いできた官僚が、透明性や情報公開や規制緩和の現代では問題とされて逮捕される姿に重なってしまう。

物語の序盤で、小十郎は雲水・賢龍と知り合い友誼を結んでいるが、何かと賢龍を頼りにしていて、危機に陥るたびに「俺を見捨てるのか」と叫ぶのが情けなくて微笑ましかったりする。

在家信者のふりをする必要があり、賢龍が世話になっている寺で座禅の修行をしていて、ここで禅寺のしきたり通りに古参僧侶にいじめられ、多少は人変わりしてたくましくなったかなぁと思わせるが、それがそうでもない。どうも全てがこの調子で、物語の進行も、人間の機微の描き方も中途半端な感じがする。妙に行間がスカスカしているのも物足りなさを思わせるが、こういうのは編集側の意図だろうか。面白くはあるが、軽すぎてすっきりしない長編だった。








安徳天皇漂海記/宇月原晴明

波の下に沈んだ安徳天皇は、神器である真床追衾(まとこおうふすま)に守られ、眠り続けているという設定で、著者お得意の耽美的なホラーを展開させた時代伝奇小説である。

第一部は、鎌倉幕府三代将軍実朝の側近が語る、安徳と実朝の因縁。幼くして海に沈められた怨みを抱き続け、瞋恚をたぎらせている安徳は「わが兵(つわもの)になれ」と実朝の夢の中でささやき、実朝は、この怒りに魅了されてしまうのである。そうして、高丘親王の故事に倣い、怒りの鎮めどころを探す旅を計画する・・・。安徳が無邪気でいたいけでなんとも恐い。

第二部は、クビライ・カーンの巡遣使であるマルコ・ポーロが体験する不思議の旅。平家物語がカーンの御前で語られ、モンゴル語に訳され、それが現代日本語に置き換えられるという、何とも不思議な感覚が気持ちよい。 逃亡政権である南宋の少年皇帝のもとに安徳の眠る蜜色の繭玉が現れ、二人は夢の中で友情を結ぶ。あまりにも似通った悲しい境遇の二人を上手く結びつけたものだ。

安徳の怒りを解く地を求めて漂流は続く。ラストシーンの何とおどろおどろしくて耽美的で幻想的で美しくて悲しいことか。このシーンにすべての物語が集約されていたのだなぁと思う。ホラーな物語に慕情とかリリシズムを折り込むのが上手い作家である。










惡忍/海道龍一朗

飛び加藤の異名を取る超絶的な忍者・加藤段蔵を主人公にした時代ハードボイルドと言うところか。海道作品と言えば、「真剣」「乱世疾走」など、高潔な好漢たちを主人公にした痛快時代小説という感じだったが、新たな作風への挑戦か、或いは悪辣で虚無的なヒーローは時代小説では定番でもあるから、敢えて本道にチャレンジしてみたのかもしれない。

段蔵は、甲賀の中忍に虐待されながら養育され、忍びとしては超一流だが性格がゆがんでしまっているという設定だ。更に逃げた先の伊賀でも辛い目に遭い、虚無度に磨きがかかっている。

冒頭、湯女と寝込んでいる段蔵は伊賀の集団に襲われるが、湯女を楯にして難を逃れるや逆に返り討ちにしてしまう。場末の賭場に乗り込むと、わざとトラブルを起こして荒稼ぎする。こういう悪辣さも今までの主人公にはなかったところで、明らかに大藪春彦のバイオレンス小説の影響が感じられるところだ。

越前の朝倉家に取り入って加賀一向一揆の首魁を虐殺し、その間でまた荒稼ぎをする。越後に入っては上杉謙信をたぶらかす。まったくやりたい放題の悪辣振り(笑)。二者をかみ合わせて油揚げをさらおうとするやり口もまた大藪作品によくあるパターンである。

段蔵に付きまとう酷薄で嗜虐的な女装兄弟の滑稽さや、段蔵に嵌められて嫌々協力させられる、商人に身をやつした中忍キャラ(のべつコテコテの関西弁でぼやいている)など、脇役も多彩で楽しい。

ラストシーンのどんでん返しが利いていて、そうだったのか!?と思わせるが、仕掛けに少し緻密さが足りないような気もする。思わせぶりなエンディングはこの後があるのだろうか。








後北條龍虎伝/海道龍一朗

後北條三代目・氷龍(こおりのりゅう)と呼ばれる北條氏康と、義弟に当たる焔虎(ほのおのとら)・北條綱成の二人の成長と友情と苦闘を描く歴史大作。前作の惡忍は、これまでの高潔な登場人物が心地よかった作品と違ってやや違和感があったが、今作は今まで通りの気持の良い漢たちが登場する。

武田信虎の奸計に嵌って命を落とした高天神城主・福島(くしま)正成の遺児勝千代は、家臣の必死の逃亡によって小田原の北條家に保護され、やがて、嫡男・新九郎(後の氏康)の稽古役として身近に侍ることになる。

親の仇を討ちたいと必死に強くなろうとする勝千代に、新九郎は武術では一歩及ばないものの、知略と剛胆さでは引けを取らず、二人は莫逆の友となるのである。このあたりの少年たちの成長と友情が心地よい。

風祭あたりに風変わりな盗人が出没すると聞き、これを退治しようとした決意した新九郎は、御稽古役たちに諮り、集団で討伐しようとするが、新九郎の導師として招かれた禅僧・以天宗清は、無謀な蛮勇は臣下の命を危機に晒すと諭し、「仕置」ということを教える。この教え通り、策略を巡らせ、悪さをする一味を平定し臣従させるが、これが後の風魔党である。新九郎の将器を見せる気が利いた場面だし、筋立て上からも平仄が合っていて上手い筋運びだ。

氏康と綱成が手を携えて進撃を続けた北條家は、江戸城、河越城を手に入れ、ついに関八州に覇を唱えるが、氏綱が病没。突如、今川・武田連合軍が河東を侵し、里見、扇谷上杉、山内上杉、古河公方(北條の姻戚であるのに、強い者について利を得ようとしている不義の公方である)の連合軍(八万五千)が、綱成が城代として赴任していた河越城を取り囲む。冒頭にこの場面が描かれ、それから二人の幼少からを描いていくという構成で、最大の苦難をどう凌ぐかがクライマックスである。

主従であり、親友であり、兄弟である二人の好漢の友情と、北條家の逆転劇を痛快に描き、実に気持ちの良い歴史小説だが、何故これほどの有能な武将達を有しながら、わずか5代で滅んだのだろう。不思議だ。

因みに、冗漫で無意味な会議という感じで使われる「小田原評定」だが、主と家臣が忌憚なく意見を述べ合う、活発な討議であったようである。








鹿鼎記(全八巻)/金庸
06/1/20

義侠心の篤い武術の達人が大活躍する、文字で読むカンフー映画のような武侠小説の巨匠・金庸の最後の長編である。出版広告のキャッチコピーに「金庸作品史上最低のヒーロー」と出ていたが、なるほど、武芸は出来ず柄が悪く小ずるい小僧が、口八丁で大活躍する物語のようだ。

妓女の息子韋小宝は、江湖を渡り歩く二流の英雄を助けたことで、彼にくっついて清朝の北京を訪れることになる。何かとトラブルメーカーの小宝は宦官と騒ぎを起こし、宮中に連れ込まれ、挙げ句の果てに少年康煕帝と友人になってしまうのである。老臣に取り巻かれて身動きの出来なかった康煕帝は、小宝を重用することで老臣を除き、小宝は一躍出世することになるが、今度はこの老臣に怨みを持つ反清復漢の秘密結社に拉致され、幹部に祭り上げられ、実に波瀾万丈の転変である(笑)。

この後、宝探しが絡む争奪戦があったり、邪教やロシアを手玉に取ったり、美女数人にまとわりついたり、実に八面六臂の活躍をする。終盤、やや物語が散漫になったような感もあるが、ならず者の小僧の活躍が痛快だ。やくざな性質の割りに、友情と恩義をよく弁えている主人公に好感が持てる。

これ以上金庸の作品が読めないかと思うと残念で仕方ない。また「書剣恩仇録」から読み直そうか・・・。








ポネ/佐藤賢一

西洋史を舞台にチャンバラ小説を描く佐藤賢一が、何故か伝説のギャングアル・カポネを採り上げた。前半は、才覚と度胸で成り上がっていくカポネの半生、後半はアンタッチャブルのエリオット・ネスの視点から描かれている。

貧しいイタリア移民の子供アルフォンソは、裏家業を仕切る紳士ジョニー・トリオに認められ、若い衆として頭角を現していく。ジョニーは実業家タイプのギャングで、いち早く密造酒に目を付け、シカゴを主な市場として我が手に納めるのだ。番頭としてこれを仕切っていくのがカポネで、政治家や警官を賄賂で籠絡し、持ち前の愛敬で一般市民にも名を売り、事実上のシカゴ市長として君臨することになる。

カポネの存在を面白く思わない連邦政府が財務省禁酒局を作り、ここに登場するのがエリオット・ネスである。ギャングと戦う若きヒーローというイメージが一般的だが、ここでは己を買いかぶっているトンチキなインチキ野郎として描かれて失笑を誘う。脱税で起訴しようとする検事を嘲笑し、ヒーロー気取りで、あくまで禁酒法違反で取り締まろうとするのだ。

カポネをアイドル視し、己を同等の人間と思い込み始めるのは、著者の「双頭の鷲」にもあったパターンだ。自信過剰の二流の秀才は何度かの挫折の後、自伝を出すことでヒーローとしてのイメージが確定したようだが、ここでは酒におぼれる青二才でしかない。

すべてが終わった後のラスト、カポネに恩義をこうむって医師になった男がカポネの妹と話し合うシーンが熱く切ない。この物語はこのシーンのためにあったのではないかと思う。佐藤賢一独特の、妙なリズムの文体と相俟って、義理人情が篤く、クサい人間関係が心地よい。










色の文豪/佐藤賢一

「黒い悪魔」に続き、デュマ家の血筋を描いた歴史評伝小説。

ヴィレル・コトレの片田舎で長じた二代目アレクサンドル・デュマは、無邪気で無責任で陽気な快男子で、亡命貴族の子息である友人の影響で文学に目覚め、パリに出て劇作家を目指す。

生来が人好きのする好漢で、知己にも恵まれ、演劇界で徐々に頭角を現すとあっという間に人気作家に駆け上がっていくが、この間、王政復古やら第二共和制やらの政争があり、そのたびに、軽薄にも争いに身を投じていくのは、偉大な軍人であった父親への憧れがあったからのように描かれている。後にはイタリア統一運動のパトロンにもなっているし、革命道楽という感じだ。でたらめな生き方をし、あちこちに私生児を作り、最終的には生活も破綻しているが、文壇道を駆け抜けた痛快な人生と言えなくもない。

「三銃士」「モンテクリスト伯」「王妃マルゴ」等の傑作は、実は下書き職人がいて、その粗筋に血肉を与えていたのがデュマだったというのは初めて知ったことだ。デュマの小説が連載されているために特定の新聞が飛ぶように売れたらしいが、「続きが読みたい」と思わせるのが、波瀾万丈痛快ロマンのデュマの筆力だったということである。

また、王侯であるパトロンのためにあった文芸が、革命によって生まれた大衆社会のものになったというのも、新聞連載小説で大人気だったデュマの時代を思わせるエピソードだ。時代はちょっと違うが、市民社会の肖像画で人気を得たレンブラントを連想させる(晩年が不遇だったというのも似ているか(笑))。そういえばレストランというのも、職を失った宮廷のコックが大衆のために料理を供する店を開いたものだったそうだ。

物語の終盤で、成長した後のデュマ・フィスと、父デュマを文学に引きずり込んだかつての親友との会話があるが、このシーンがしみじみと心地よい。父親と違って、生真面目な感じがするデュマ・フィスだが、彼の物語も書かれるのだろうか。

因みに「黒い悪魔」は文豪デュマの父親が主人公で、フランス貴族とハイチのアフリカ女性の間に生まれた息子が軍人として身を立て、ナポレオン麾下の将軍「黒い悪魔」と恐れられるようになるまでを描いたものである。










女信長/佐藤賢一

織田信長は実は女であったという設定の架空歴史小説。のっけから斎藤道三との情交場面が描かれていたりする(笑)。

父親織田信秀に見込まれ、信長として家を継いだ御長は、女の考え方で世に大平をもたらそうと画策する。長い戦乱の世は、男たちが動乱を楽しんでいるからだと喝破しているのだ。信長の事績を丹念に辿りながら、晩年の信長の狂気に、女性ならではの整合性を持たせている感じだろうか。女信長が駆け抜けた半生が痛快だ。

弟・信行に付いて謀反を起こした柴田権六は体でたらし込むが、女体におびえる権六が笑える。正室である道三の娘・帰蝶とは友情で結ばれているが、男勝りの御長とぶりっこの帰蝶のコンビは、そのまま少女漫画にでも出てきそうだ。

こういう調子で、最後までハイテンションのままの生涯が続くが、男を演じることに疲れ、或いは男の論理にうちひしがれそうになりながらも、己に自信を持って果敢に戦う御長に声援を送りたい。


佐藤賢一は西洋史で修士課程まで行った作家だが、そもそも「傭兵ピエール」「双頭の鷲」など、戦国小説そっくりな西洋時代小説を書いてきたのだから、たとえ日本史を扱ってもその表現に違和感はない。それにしてもアレクサンドル・デュマ親子を描き、アル・カポネを描き、実に目まぐるしく動く作家だなぁ。








青雲遙かに 大内俊助の生涯/佐藤雅美

幕末の江戸、昌平坂学問所で学問(儒教)を修めるために仙台藩から上京した大内俊助は、最初は向学の志に燃えていたが、江戸に馴染むに連れて生活が自堕落になり、朱子学の考え方にも疑問を持つようになる。ほとんどの留学生は、身を立てるための手段として学問をしているのであり、そういうあり方にも疑念を感じているのである。そうして、女がらみで身を持ち崩していく。

このあたり、東京の一流大学に合格し、青雲の志で上京した若者が、東京生活で堕落していくさまを思わせる。或いは、悪女への恋着から何度か失敗した後に幸福を掴む、サマセット・モームの「人間の絆」を連想させたりもした。

蘭学者の高島秋帆を陥れようとした鳥井耀蔵の手先を捕まえるに協力するというようなことがあり、江川太郎左右衛門との細い縁ができたりもする。そして、蘭学で人生のやり直しを図る夢を持ったものの、生活に追われ、そのまま生涯を閉じる覚悟でいるところに・・・。

言葉遣いや人間関係の描き方など、不自然かなと思う場面がなくもないが、時代青春小説として、また人生やり直し小説として大変よく出来ていたと思う。俊介の子孫に絡むラストシーンも感動的。










樓岸夢一定(ろうのきしゆめいちじょう)/佐藤雅美

秀吉麾下の部将として精励した蜂須賀小六を主人公に、戦国の国盗りを描いた歴史長編。

木曽川流域の川筋者を束ねる蜂須賀党の魁首小六はいわゆる土豪で、美濃と尾張が争う間で、運輸、諜報、攪乱などの戦場稼ぎをしており、父親が斎藤道三と縁があることもああって美濃に肩入れてしてきたが、織田信秀、その後を継いだ信長の力が大きくなるに連れ、どっちつかずの態度が許されなくなってきている。地縁で幾度か助けたことのある信長に対しては、その傲慢さや狂気に対して含むものがあって臣従する気にはなれず、働きが報われないで何度も煮え湯を飲まされてきた。

小六が世話になっている村の分限者生駒八右衛門の妹が信長の愛妾になっており、生駒家の使いっ走りをしていた木下藤吉郎はその縁で信長に抱えられ、出世し始めている。かつては小六が呼び捨てにしていた藤吉郎だが、信長に仕える気にはなれず、藤吉郎をこそと見込み臣従し、その後、秀吉を上に押し上げるために、幾たびも戦場働きで汗を掻くことになる。

一応は名家の末端であった信長に対し、小六は現場の叩き上げである。外交や調略で力を発揮したのも、その誠実な人柄故だったという設定になっているが、平気でひとを裏切り、出世の捨て石にする秀吉・信長と対比し、その特質が際だっているように思える。無頼風来の徒として無意の日々を送っていた前野小右衛門との友情も終生変わらず、その辺の描き様が心地よい。










怒濤のごとく(上・下)/白石一郎

鄭成功を主人公とする海洋歴史小説。「海覇王/荒俣宏」の鄭成功が、あまりにも狂気じみて直情径行な造形だったので、もう少し爽快感のある海の王の物語が読みたかったのだが、これも似たようなものだった。

平戸での幼少時代、海賊・海商から明国の総兵官に招撫された父親・鄭芝竜に呼ばれて中国へ渡っての成長、父親と袂を分かち、頭でっかちな愛国心から自ら破滅の道を歩んでいく終盤まで、あまり快男児の印象はないのである。

機を見るに敏で、功利心の強い父親は、明国商人の日本での取り仕切り役である日本甲螺の地位をかすめ取り、ついに明国の軍閥として招かれるまでになるが、この野心的な男の方がよほど爽快である。まぁ、若い頃の仲間まで討伐してしまうあたりはあまり頂けないが、その分だけ、修羅場を乗りきり溌剌としていたあたりはとても魅力的。

片や成功は、父親の功名心から科挙を受けるべく猛勉強させられた秀才で、頭でっかちな理想家に成長しており、ひたすら抗清復明の思想に没頭している。明が滅びるのはある意味当然であったかもしれないのに、ここまで勤皇を貫くのも周囲にとっては迷惑だろうが、これも日本人的気質(ジープンキー)故と書かれている。何故このような男が日本でヒーロー扱いされたのかと思うが、忠義・忠誠が武士道日本の倫理観に適ったのだろうか。

白石一郎は海に生きる快男児を書かせたら一番の作家だったが、彼をしても鄭成功は魅力的には書けなかったらしい(笑)。








賊モア船長の遍歴/多島斗志之

18世紀初頭のインド洋のあたりを舞台にした海賊小説である。一風変わった時代小説とも言えるだろうか。

東インド会社の航海士だったジェームズ・モアは、会社からあらぬ疑いを掛けられ職を失い、新婚の妻が変死して投獄され(後に嫌疑不十分で釈放)、失意のうちにすさんだ人生を送っていたが、知り合いの水夫長が見かねて、自分が乗り組んでいた船に連れてくる。これこそキッド船長指揮するアドヴェンチャー・ギャレー号で、国王から海賊討伐のお墨付きをもらった船なのだった。

海賊から没収した資産は我がものにしても良いことになっていたようで、貴族から出資者を募り、航海後に分配する仕組みになっていたらしい。海賊に出会えなければ商売あがったりで、ついに自ら海賊に姿を変えたキッドだったが、堅気への未練捨てがたく、中途半端な海賊振りである。有能な船乗りとして重用され始めていたモアは、捕獲した船に乗り換えアドヴェンチャー・ギャレー号を廃棄するというキッドと袂を分かち、アドベンチャー・ギャレー号を率いる船長となるのだった。

海賊というか、盗賊一味というのは、全てが親分の厳格な支配下にあると思っていたのだが、さにあらず、当時の海賊は乗組員の一人一人に表決権があり、船長も手下の総意で決まっていたものらしい。新たに募った乗組員の中に、武芸に秀で、優雅な佇まいの男がいて、この男こそ船長にふさわしいとモアは感じるのだが、海賊のリーダーとしての能力と個人的な魅力はまた別なものらしく、逡巡を抱えながら何とか新米の海賊として一味を率いていくモアである。過去を振り返ったり、己の能力に疑いを持ったり、常に優柔不断なモアだが、海賊としては優秀なのだろう。過去に囚われていたダメ男が再生する小説でもあるのだ。

クライマックスはモア自身の復讐で、奇計を使った戦いの場面が白眉。船乗りモアの面目躍如である。

この著者は、20年ほど前に謀略小説でデビューしているが、評論家筋の評価はそこそこあるものの、あまりぱっと名前が売れている訳でもない。それでも作家として書き続けているのは、それなりに成績を出していると言うことだろうか。何となく、ブレークする前の大沢在昌を思わせる。











花はさくら木/辻原登

朝日夕刊に連載されていた時代小説である。

時の老中田沼意次は、江戸に大坂に負けないような経済機能を持たせたいと考えている。そして、朝廷に莫大な献金をし、鴻池とタッグを組んで巨利を得ている豪商北風組を潰そうと画策し、配下を送り込むのである。

北風は反幕の旗印として淀君の血を引く菊姫を拉致し、己の娘として養育しているが、菊姫は智子内親王(後の後桜町天皇)の親友でもある。そして、皇太后と田沼の思惑が一致して北風を追い落とそうとする暗闘の幕が開く。

田沼配下の薬込役(御庭番)の青年・青井が菊姫と恋に落ち、ロミオとジュリエット思わせるかと思うと、智子内親王がお忍びで大坂へ遊びに出かけたりして、このあたりは「ローマの休日」である。ちょっとした映画的お遊びであろう。

ここでの田沼は有能で清爽な壮年の男として描かれており、現代の切れ者ビジネスマンという感じでもあろうか。部下思いのところも現代的で、青井への思いなどちょっとホロリとさせる。

終盤、荒唐無稽な展開になり、着想は面白いながら全体に冗漫に流れていった感は否めない。読後の不満足感はどこから来るのかと問えば、恐らく題材を詰め込み過ぎて消化不良になっているのだろうと思う。



同じ作者による「翔べ麒麟」は、唐の都に派遣された貴族青年の「三銃士/デュマばりの活躍を描いたもので、大変に面白い歴史青春小説である。こちらは文句なくおすすめだ。










悪いやつら/東郷隆

謀将宇喜多直家という副題が付いている。

児島高徳の末裔だという名家の祖父は同僚・島村貫阿弥に誅され、流浪の末父親は放蕩者として死に、自分は牛飼いの身分で愚人として馬鹿にされている八郎(直家)だが、仇敵の目に止まらぬよう、復讐の野望を胸に秘めながらにひたすら愚人を装い続けているのだった。

宇喜多家の祖父を慕う武士地侍の類は八郎に希望を見出し、糾合の旗頭として八郎を担ぐことにする。八郎自身よりも、この連中の動きを中心に描いている感じである。服部(はとりべ)、西須恵など、古代の職制を思わせるような姓を持つ地侍や、慕露と呼ばれる念仏集団など、中世的な雰囲気もまた楽しい。

水軍や他領主との戦いの中で徐々に頭角を現し始めた直家だが、復讐のためには悪になると断じ、ひとの手柄の横取り、食糧不足の折りには他村の倉へ強盗、挙げ句の果てには創業以来の家来を次々に犠牲にしてはばからなくなる。

この当時の「悪」には強いという意味があったはずで、「悪いやつ」という意味に使うのはどうかとも思うのだが、まぁ、八郎が人変わりする途中までは痛快出世譚として読めなくもない。八郎が酷薄な領主に変わっていくのも読みどころだが、中世から下克上への世の有様が面白かった。

後書きに、道三・久秀が大悪人で、信長・信玄が英雄で、同じようなことをやってきた直家が小悪人呼ばわりされるのは何故か、とあったが、これを読む限り、周囲の人間まで簡単に裏切るようだから悪人なんだろうと思う(笑)。家康とてかなり汚い手を使い、妻子を犠牲にしてまで天下人に成り上がった訳ではあるが・・・。










まけのこ/畠中恵

 

回船問屋長崎屋の病弱な若旦那・一太郎を主人公に、妖との奇妙な事件を綴るユーモア時代ファンタジーシリーズ第4弾。情緒のある逸品が揃っている。

「こわい」出生が定かでない、嫌われ者の妖・狐者異(こわい)が長崎屋に現れ、自分の頼み事を聞いてくれたら、職人の腕が良くなる秘薬をやるという。菓子作りの腕が上がらない幼なじみ・栄吉のために秘薬が気になった一太郎だが、栄吉は、そんな薬には頼りないときっぱりと断ってみせる。友情の発露だ(笑)。関わるものを不幸に陥れる狐異者は、仏様でも救えないと言われている妖で、その哀れさ・孤独が哀切だ。現代の社会に受け入れられない半端者の姿を思わせる。

「畳紙」長崎屋に出入りする妙齢のお雛は、厚化粧によって仮面を作らなければ人と向き合えない性格だが、屏風のぞきとのおかしな縁がカウンセリングになるという不思議な一編。厳しい祖父母の思いやりが表される行く立てが楽しく、またしみじみとする。ややひねくれているものの根は優しい屏風のぞきが良い(笑)。

「動く陰」一太郎が幼い時に解決した影女の事件。商家の中の人間関係のトラブルと重ね合わせられる怪異が、京極風を思わせる。

「ありんすこく」一太郎が禿(かむろ)の足抜けを助けることになる人情譚。

「おまけのこ」娘の嫁入り道具に高価な真珠を使った櫛をあつらえたい大店の主が、長崎屋に真珠を発注するが、真珠の盗難事件が起き、現場から真珠と共に鳴家(やなり)の一匹が消え失せる。鳴家は真珠をお月様と思いこんでおり、魅了されてしまっているのだ。鳴家の冒険が描かれて、何とも健気で可憐で意地らしい。鳴家ファンが多いというのも分かる気がする。










うそうそ/畠中恵

回船問屋・薬種屋を営む大店長崎屋の病弱な若旦那一太郎と、愉快な妖たちのやりとりが楽しい時代ファンタジー「しゃばけシリーズ」の五作目は久々の長編である。しかも今回若旦那は旅に出るらしい。どんな珍道中になるものやら・・・(笑)。

湯治に箱根へと出かけた若旦那は、侍に攫われるわカラス天狗に殺されそうになるわ、とんだトラブル続きの羽目になる。そして、半神半人の少女・お比女ちゃんと巡り逢う。

かつて村人に人柱にされそうになり、父神が怒りを爆発させて村を滅ぼしてしまったことがトラウマになっているのお比女ちゃん(可憐だ!)は、一人では何も出来ない自分を責めており、そのあたりが一太郎と同じである。

お家大事で他者の都合など考えない馬鹿侍が箱根を滅ぼしかねない事態に、お比女ちゃんがやっと己の使命を見出すというストーリーは、おそらく自分探しというものだろう。面白くはあったが、こういうテーマはこのシリーズにはどうなんだろうか。自分探しというなら、一太郎も少しは丈夫になって欲しいものである(笑)。

このシリーズでは、可憐で無邪気な小鬼の鳴家(やなり)が何と言っても可愛い。今回は、付喪神(100年を経た道具が妖になった物)の印籠から抜け出した獅子の背に乗って駆け出したりしており、楽しさは健在だ。

このシリーズ、実はラジオドラマで聴いた方が先である。NHK-FMの青春アドベンチャーという番組で第一作「しゃばけ」二作目「ぬしさまへ」が4年ほど前にラジオドラマ化されたことがあるのだが、子供の声をデジタル処理した鳴家の声が可愛らしく、一編にファンになってしまったものである。最近、再放送していたが、再放送があると言うことは続編もドラマ化されるのかもと期待している。

06/10/10







ゆめつげ/畠中恵

 

「しゃばけシリーズ」で人気の著者による、幕末の江戸を舞台にした時代ファンタジー。このシリーズ同様の物語である。

弱小神社の神官兄弟の兄・弓月は己の見る夢の中で透視や予言が出来る(夢告。むこく、ゆめつげ)。有力神社の神官から夢告をして欲しいという依頼があるが、幼い頃に行方不明になった大店の跡取り息子らしい男子が三人現れており、その判定に力を貸して欲しいと言うものだった。

あまり気が進まないながら出向いてみると、いきなり辻斬りに命を狙われる羽目に。それから何度も血なまぐさい夢を見ることになる。おっとりのほほんとした弓月は、しゃばけシリーズの一太郎そのままで、キャラ造形にもうすこし工夫が欲しかったと思うが、しっかり者の弟・信行との名コンビ振りは楽しい。

跡取り候補の三人の養い親は、それぞれ己の育て子がそうだと主張してらちが明かないために弓月が呼ばれた訳だが、弓月の夢告は常にピントがはずれており、確かな答を出すことが出来ない。これが実は事態解決につながる鍵の訳だが、このあたりはミステリーも書いたりする著者らしい上手さだろう。

答が出ないまま、神社に集った人々がピンチに陥るが、弓月の力を使っていかにこの窮地から脱出するかが後半の見せ場である。

江戸・超能力・ミステリーと来れば、宮部みゆきの影響を受けていることは間違いないだろう。展開がスピーディーで、一気に読んでしまうくらい面白くもあったが、見せ場を盛り込みすぎてやや散漫になっているような気もした。もう少しネタを絞っても良かったように思う。








海国記 平家の時代/服部真澄

経済摩擦や謀略などをネタにした著者が手がけた歴史小説で、物流の視点から源平の盛衰を描いています。

上巻に登場するのは「渡し」と呼ばれる伝説の水主一族の楫師(かじとり)・水竜、水竜に買われた日宋の混血少女・千鳥、淀川の水運を仕切る女傑・賀茂の真砂、検非違使に上がったばかりの少壮武士・平正盛などで、彼らは、九国(くこく=九州)から淀川までの海の道が財物を運ぶ道である事を知っており、朝家に唐物を貢進しつつ、自分らも巨大になっていくのですが、これらの血が混じり合って、傑物・清盛が誕生するのです。

50年以上のスパンを上下二巻で描いているので、時代が跳躍してしまうのが残念です。清盛を産み出した祖先達の物語をもうちょっと読みたかったような気がします。

奢れる平家は久しからずで、孫を皇位に就けたい清盛の妄執から平家凋落が始まりますが、海商としての平家、農耕民の親玉である源氏の対比などももうちょっと描かれると興味深かったと思います。でもまぁ、面白い歴史小説でした。


余談ですが・・・。 清盛の死因を探るような研究をしている好事家の医師の話を新聞で見た事がありますが、猩紅熱ではなかったかということでした。

この病気がなければ清盛はもう少し寿命があり、源平の戦いの帰趨は違った展開を見たかもしれない、などともありましたが、こういうのが歴史のIFの面白さでございますね。








青き剣舞/花家圭太郎

佐竹藩の冷飯たちに降りかかった運命の転変を描く時代小説。

玄二郎、参徹、継之進は、学問所でも道場でも三羽烏と呼ばれる親友であり、参徹は剣術で、継之進は学問で身を立てる夢に燃えている。のほほんとしていて山歩きを好む玄二郎は、未だ己の道を描こうとはしていなかったが、藩の重職・茂木玄蕃頭恭充から玄二郎の器量を見込んで、娘・お芙卯へ婿入りの話が降って湧く。人の良い次男坊が良縁に恵まれるあたりは、山本周五郎の短編小説を思わせるが、この先に運命の転変が待っていた。

新婚の二人は仲むつまじく暮らしていたが、同じ道場に通いながら自分を推挙しなかった師匠を怨み、嫉妬をたぎらせていた参徹は、行きがかりで玄二郎の舅を切ってしまい逐電、玄二郎に敵討ちの責務が生ずるのである。

敵討ちなど忘れて玄二郎と仲良く暮らせと入れ知恵した母の気持ちを汲み、江戸へ同道したお芙卯である。玄二郎の方はそんなこととはつゆ知らず、参徹の行方を捜す。町人の知り合いも出来、徐々に江戸に馴染んでいくのだった。

折しも赤穂の討ち入りが取りざたされていた頃で、恰好の憂さ晴らしとこれに入れ込む町人の様相などをからめた筋立ては、「用心棒日月抄/藤沢周平」の影響が感じられる。 堀部安兵衛の町道場が出てくるあたりもそっくりだ。

ラストシーンは哀切であるが、すべての収まりが付いて、悲しいハッピーエンドでもある。友情や運命の転変や青春の苦悩がしみじみと描かれた、時代「青春のしっぽ」小説という感じだろうか。








黄金の華/火坂雅志

 

徳川幕府草創期に、貨幣鋳造を司る金座銀座を差配した後藤庄三郎を主人公とする歴史小説。この人については、武士なのか商人なのか職人なのか今ひとつ良く分からなかった人物だけに、興味深く読んだ。

庄三郎の父親は斎藤道三に滅ぼされた長井家の武士で、浪人した後、京で天正大判を鋳造する後藤家に身を寄せていた。庄三郎は算勘に長けていたことから後藤家の手代として天正大判製作に携わっている。

女を知らない庄三郎は、大原の雑居寝と呼ばれる奇習に参加し、可憐な美女と契るが、彼女は角倉了以の三女おたあさまで、秀次の側室に上げられるのが嫌さにこの奇習に参加したものである。

これが世上の噂になり、庄三郎を京に置いておけなくなった後藤家の主は、家康に命じられて、嫌々ながら話を受けていた江戸での貨幣鋳造に体よく追い払ってしまうが、ここから庄三郎の運命が開けてくるから面白いものだ。

良貨を滞りなく流通させることが経済を安定させ、民を豊かにすると考えていた庄三郎の思いは家康の思惑と一致し、貨幣鋳造と共に経済官僚としても重用されることになる。

ここぞというところでは大博打を打って家康の天下取りに協力し、巨大な利権を生む権力を身につけるようになっていった金銀改役庄三郎だが、身を慎み、決して不正蓄財などを考えなかった生涯である。このあたり、黄金の男・大久保長安が対比されて描かれ、傲慢、奢侈、権力志向の長安との確執が物語を盛り上げている。

家康の重用を受けるようになった庄三郎を、後藤家の人間とするために主の驕慢な娘を押しつけられ、家康からは子をはらんだを若い娘を下げ渡され、あまり女運が良いとは言えなかったようだが、最後に救いがある。

貨幣の発行と流通を司る金銀改役は、現在の日銀総裁と同じだったのではないかという著者の後書きだが、だからこそ身を清廉に保った庄三郎の気概が生きる。何やらファンドに投資していた総裁に聞かせたいような話だ(笑)。








七姫幻想/森谷明子

古代、平安朝あたりを舞台に、男女の愛憎と謎をからめた、王朝ミステリーロマンと言うところか。そこそこ面白くはあるが、どうも男女のドロドロやインセストタブーなどが鬱陶しい。

うだつの上がらない中年男・清原元輔(清少納言の父親?)が出会った、秘密めいた一族の出の夏野や、夏野が被害者となった殺人事件、夏野の姪による復讐を、ホラーと耽美と哀調で描いた「薫物合」はわりあい良かったように思うが、どうも王朝と謎解きはあまり合わないように思う。雅な雰囲気が台無しになるからだろうか。

男女のドロドロが平気(お好き?)な方には喜ばれる一冊かもしれない(笑)。








早春賦/山田正紀

戦国の気風が残る江戸初期、八王子千人同心を差配してきた大久保長安の死後、千人同心の間に持ち上がった騒動を、17才の少年たちを中心に描いた時代青春小説。少年から青年への成長を、八王子の特産になった養蚕の齢に例え、上手い効果を上げている。

半士半農の八王子千人同心は武田の家臣の流れを汲んでいるが、自分の身を百姓と思い定めている風一は、何かと戦場風を吹かす父親を煙たがっているが、卒中で身動きがままならないはずの父親が、長安の代官屋敷の異変に気付いたことから物語の幕が開く。私腹を肥やしていたとして長安一族の討滅を決めた徳川に対し、徹底抗戦しようとする代官屋敷の勢力と、千人同心身分の安定を図りたい小十人たちの間に闘争が繰り広げられるのだ。史実かどうか分からないが、この戦いは、新たに支配下に組み込んだ勢力における旧来の命令系統を断ち切りたい幕府の謀略として描かれている。

対策のために集まった主立った小十人連中は代官屋敷の少年二人に惨殺される。この二人は風一の幼なじみである火蔵・火拾の兄弟だが、かつて共に遊んだ日々が回想され、敵味方に別れた現在にも尚付きまとう友情の切なさを上手く描き出している。

敵陣内への潜入路を確保する責務を負った風一と、やはり幼なじみで人格者の少年僧・山坊、そして解死人(げしにん)として村に飼われていた林牙の三人の活躍が後半の見せ場である。解死人は、村同士の争いが持ち上がった時に人身御供として差し出されたり、戦いになった時の使者として使い捨てにするために飼われている者で、役目を全うすれば並の身分になれる者らしい。過酷で冷酷な差別があったものである。 ひねくれ者で凶暴で人並み優れた体技を持つ林牙に、これまた人並み外れて凶暴な火拾が懐いており、この二人の関係も切ない。風一に対し思わぬところで友情を見せる林牙だが、「ひねくれ者の林牙は当然人助けなどしない」と思われるのが癪だったから、友情を発露して見せたそうだ(笑)。このキャラも好きだなぁ。

戦いが終息し、それぞれの身分に落ち着いた四人は、自分たちが一番偉いと思っている侍を笑い飛ばしているが、このあたりが清々しい。蚕と共に成長した幼なじみたちの友情が気持ちよい小説なのである。何となく名作「蝉しぐれ/藤沢周平」を思わせた。

それにしても、30年ほど前に「神狩り」でデビューしたベテランSF作家は、本格ミステリーも書くし実に多才だなぁ・・・。










深川黄表紙掛取り帖/山本一力

定斎(夏ばての薬)売りの蔵秀を中心に、絵師、絵草紙描き、仕掛けあんどん作り人などのチームが商家のトラブル解決を請け負う、お江戸イベント企画屋連作という感じだろうか。

事業を拡大するためには非道も辞さない親子を描くあたりはヒルズ族の面々を彷彿とさせるし、かなり現代世相を映した作品だと思う。悪辣な奴らを懲らしめたり、大がかりな仕掛けで嵌めたり、必殺やスティングの影響がありそうだ。

ほどほどに痛快で面白いが、一肌脱いでくれる渡世人の親分など、ありがちな感じがする。物語の運びも今ひとつスムーズではないような気がした。蔵秀の父親の山師・雄之助が飄々として好印象(笑)。

最終話、お忍びで休息している柳沢吉保にチームが目通りしているが、何か取って付けたような印象。一冊にまとめるために無理にくっつけた感じがした。

ところで、著者の山本一力はバブル時に大借金をこしらえたらしい。相続税を支払うために不動産を担保に大枚を借り、ついでに自分でも事業を始め、失敗したとか言う。一時は電気も止められた極貧の生活だと聞いたが本当だろうか。借金返しのために小説を書き始めたということだ。そういう生活感も作中に漂っているのだろう。



宮田章司という、江戸の売り声が持ち芸の芸人がいる。「江戸売り声百景」という聞き書き(岩波アクティブ新書)には寄席で収録したCDが付録で付いているが、この中に「定斎売り」のかけ声が聴ける。定斎売りは、ひきだし箪笥を天秤に担いでくるので、箪笥の鐶がカチャカチャと鳴るのが特色だったらしいが、これに合わせて「エーーーー ジョサイ!  エーーーー ジョサイ!」と売り歩いていたそうだ。良い風情だなぁ・・・。















無威おとめ組/米村圭伍

紅無威で「くれない」と読む。相変わらず軽妙で滑稽な時代サスペンス。

松平定信が実権を握った時代、田沼が作った埋め立て地の歓楽街が取り壊されることになった。軽業一座の主がこれに反抗して殺され、一座の花形娘小蝶が敵討ちとばかりに定信の首を付け狙う。

下屋敷に侵入し、見事棒手裏剣を命中させるもこれが定信の替え玉で、失敗して遁走。定信の屋敷を見張っていたらしい妙な一団に拉致されるが、義賊を名乗る頭目の色男にヘロヘロになって、闇夜団入りする小蝶であった。

発明好きの薄幸の遊女や美貌の女剣士など交え、二転三転するストーリーは、痛快なエンディングまで、落語のような語り口で快調である。

田沼の娘(妾腹)の連れ合いで、冬山大次郎という剣豪が登場し、各章にはチャーリーズ・エンジェル風の三人娘のシルエットをあしらうなど、ギャグも楽しい。跳ねっ返りでおっちょこちょいの小蝶は笠森お仙のキャラを思わせてちょっと嬉しかった(笑)。






















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