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SF・ファンタジーのレビュー2008





有頂天家族/森見登美彦 9/17

黄金の王白銀の王/沢村凛 11/19NEW

カレンダー・ボーイ/小路幸也 11/9

西遊記/平岩弓枝 9/23

シャングリ・ラ/池上永一 7/26

太陽の塔/森見登美彦 6/11 

マジカル・ドロップス/風野潮 6/28 

みずうみ/いしいしんじ



黄金の王 白銀の王/沢村凛
11/19

著者の大作「瞳の中の大河」はバーチャルな西洋中世的な世界を舞台にした戦史ファンタジーで、本作も同様の作品だが、舞台は東洋中世的世界である。人名・地名の付け方は、当初中国的ものかと思ったが、むしろ古代日本的なものが感じられ、独特の世界観だ。

巨大な島国である翠(すい)は、偉大な穡(しょく)王の治世後、四代目の双子の王子が後嗣を争い、百数十年、それぞれの血統を継ぐ鳳穐(ほうしゅう)と旺廈(おうか)の一族が覇を競って血みどろの紛争を繰り返している。現在は、数年前に鳳穐が旺廈を放逐して四隣蓋(しりんがい)城を取り、現在は若き有能な頭領ひずち(禾魯)が翠を統べている。

ひずちは旺廈の頭領薫衣(くのえ)を「殺せ。殺したい。殺すべきではない。殺したくない。」という矛盾した思いを抱えたまま幽閉していたが、薫衣を成人させて四隣蓋城に迎え、薫衣にとっては屈辱となる、秘めた企図を打ち明けるのだった。薫衣の立場が哀れだが、誇りを持って悠然としているあたり「瞳の中の大河」同様だ。

冷徹な王者ひずちと、純粋で直情の薫衣を対比させて、緊張感ある疑似戦国時代小説である。





カレンダー・ボーイ/小路幸也

小中を共にした同級生二人が同じ大学の教授と事務局長になっており、この二人が、48才の意識を保ったまま小学5年生の自分に戻るタイムスリップを日ごとに繰り返す。そして、3億円事件にからむ同級生の悲劇を繰り返させるまいと奮闘するのである。

大学教授・三都充(イッチ)がタイムスリップした先の5年生の自分たちを語り、48才の現在を事務局長の安斎武(タケちゃん)が語るという形で交互に物語は進む。時代に影響されて語り口調が小学生に戻るのと裏腹に、豪放で清濁併せのむような中年男の対比が面白く、過去を改変したことによって現れる現在の歪みに戸惑いながら奮闘する二人もつい応援したくなる。

ただ、同級生を救ってハッピーエンドと言うだけではありきたりで詰まらないし、どうオチを付けるのかとは思っていたが、うーん、こういう結末でしたか。この苦い結末がこの作品の特色なのかもしれない。ノスタルジーとミステリーを絡める手腕はさすが。

西遊記(上・下)/平岩弓枝
9/23

平岩弓枝が中国奇書を翻案するとは思わなかったが、「道長の冒険」なども書いているので、アジアンファンタジーも得意なのかもしれない。

大筋は底本通りだが、石猿の誕生などはすっ飛ばし、玄奘の登場あたりから書き始めている。悟空の造形もわりあい子供っぽく、師弟愛が色濃く描かれているのがさすが人情時代小説作家という感じだが、妖怪の悪辣さの中に少年犯罪的なものや家庭問題的なものも含ませ、今日的なニュアンスを盛り込んでいる。

さまざまな苦難を乗り越えて玄奘三蔵一行の旅は完結する。底本を換骨奪胎し、あっちのエピソードとこっちのエピソードをくっつけたり、新たな挿話を創作したり、かなりの力業だったと思う。底本が妖怪との戦いをメインに据えたのに比べると、本作は師弟一行の絆をお涙頂戴に描いたところが特色だろう。鬱陶しいとも思えるが、これはこれで新機軸ではある。最終場面はドラマの影響だろうか。

有頂天家族/森見登美彦
9/17

下鴨神社の糺の森に救う狸一家の、心温まると家族愛と痛快な活劇の物語。京都を舞台にひねくれ純情の主人公のドタバタを描くのがいつもの森見作品だが、人間ではないものを主人公にすることでベタベタな部分を書いてみたかったというのが作者の弁である。

京都中の狸の頭領「偽右衛門」こと下鴨総一郎は度量大きく、声望が高かったが、不慮の事故で命を落としている。総一郎の四人の息子は、長男矢一郎は堅物で土壇場に弱い、二男矢二郎は蛙に化けて井戸の底に引きこもり「井の中の蛙」を実践している、三男矢三郎はお調子者のひねくれ者(彼が主人公である)、四男矢四郎は未だ子供で携帯電話を充電できるのが精一杯、とどれも頼りにならず、不肖の子ということになっているが、母の愛は強し、総さんの子供がボンクラの訳がないと、子供たちが信じているのである。それこそベタベタな母と子の愛情であり、やや気恥ずかしくもあるが微笑ましい。

偽右衛門の名跡を巡り、叔父の夷川一族と対立する下鴨家はトラブルに巻き込まれるが、これを家族愛と奇天烈な活劇で乗り切っていく。零落してしまった老残の天狗の赤玉先生(赤玉ポートワインを愛飲している)、赤玉先生が攫ってきて天狗に仕立ててしまった女性(ヒト)の弁天の傲慢さなど、脇を固めるキャラクターも一癖あって笑わせてくれる。

狸は馬鹿馬鹿しいこと、面白いことが好きで、下鴨一族は酔狂の果てに危ない目にもあったりするが、「阿呆の血のしからしむるところ」と闊達に澄ましている楽天さが何とも心地よい。「面白きことは良きことなり」をテーゼとしているあたり、楽しく生きていれば満足な好人物の生き方を思わせ、皆がこうならば平和なんだろうなぁと思った。



シャングリ・ラ/池上永一
07/26

沖縄の風土や伝承や土俗をモチーフに、ユーモラスで切ないファンタジーを書いてきた池上永一だが、今回は真っ向からの大作SFである。

近未来の東京は、ヒートアイランドや温暖化によって熱帯と化しており、政府は空へ伸びる人口都市アトラスを建設するが、入れるのは大枚を払えるエリートのみ。そして環境対策と称して東京を緑化してしまう。無目的無軌道な緑化によって東京中がジャングルになり、家を追われ、難民化した人々は、反政府ゲリラ「メタル・エイジ」の拠点ドゥオモに糾合される(メタル・エイジは東京を以前の町に戻すことが目的である)。

そして、ここにメタル・エイジの新たな総統が誕生する。跳ねっ返りの美少女國子である。前の総統凪子から帝王教育を受け、ニューハーフのモモコ(格闘技の天才)によって育てられた國子は、活発で聡明で下ネタ好き(笑)の若きリーダーなのであった。いかにしてアトラスを開放するかが國子の使命だが、アトラスの歩んできた歴史や目的、近未来世界の経済、軍事など、多岐に渡る設定が物語を非常に重厚なものにしている。

二酸化炭素の排出量は国連によって管理されており、基準を超過すると炭素税がかけられるが、実質炭素と経済炭素という概念が生まれ、これに目を付けたカーボニストと呼ばれる投資家も誕生している。天才的な小娘が超絶的なコンピュータを使い、市場を荒らし回ったりしているが、これも後に伏線として利いてくる。金融の仕組みをSFに投影させた面白い設定だと思う。アトラスを支える新素材は炭素から生まれているし、炭素がすべてを支配する世界なのだ。

池上作品の魅力は、脳天気な会話や、その底に潜む悲しみ、濃密な人間関係などで、今作では脳天気さはやや影を潜めているのが物足りないが、一人異彩を放つのは國子の育ての母であるニューハーフのモモコだろうか。柔道の元オリンピック代表、セクシー中年美女にして永遠の28歳、若い男を見るともてあそばずにいられないなど、なかなか魅力的なキャラであり、なおかつ國子にとっては慈愛に満ちた(下ネタ好きの)母なのである。

もう一つ、しぶとくて健気な悪役というのも毎度常連であるが、今回の悪役はやや悪辣すぎて引いてしまった。そういえば、今作はやたらとスプラッタな感じもあったが、あまり毒々しさを感じさせないのが池上作品の品の良さだろうか。

前作までとはだいぶ趣が違っているが、正義感あふれ、ややおちゃらけた國子の壮絶な戦いを描く、痛快傑作SFである。

マジカル・ドロップス/風野潮
08/06/28

自分の日常に嫌気が差している42才の平凡な主婦が、中学の親友がタイムカプセルに埋めたドロップをなめると2時間17分だけ15才にもどれてしまう。そして、封印したはずの青春を追体験することになるのである。

 

やや生意気な一男一女を持つ主婦菜穂子は、中学時代の親友真由美と、高校に行ったらバンドをやろうと約束していたが、卒業直後に真由美が事故死。以後、高校時代は夢を封じ込めて、さしてときめこくとのないまま現在までの暮らしに至っている。

ところが、掘り出されたタイムカプセルから出てきたドロップをなめると、精神は42才のまま15才に戻れてしまう。そして、中学生の姿のままもう一人の親友とカラオケ大会でUFOを踊って息子のバンドにスカウトされ、息子のバンドの音楽性の高さと、自分自身の夢を叶えるためにいそいそと15才に戻っていくのだった。

己の素性を隠したままバンドを楽しみ、メンバーの子(当然、息子の友人である)に心ときめかせるあたりは、ちょっとどうなのよ?と思う。いそいそと15才に戻る菜穂子と違い、読み手の方が何となくカンニングのような居心地悪さを覚えるのである。

ただ、その過程において、菜穂子自身が再生していく物語でもある。当初、あらすじを読んだ時に、ドロップなめて中学時代に戻れるよ的な安易なタイムスリップものかと思ったが、やはりその辺は手練れの作品で、友情と音楽が根底に流れて心地よい。

太陽の塔/森見登美彦
08/06/11

第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞作である。

先に読んでしまった「夜は短し歩けよ乙女」同様、自意識過剰で、自我が肥大し、むさ苦しく、暑苦しく、鬱陶しく、女性にもてない昔気質な京大生たちが織りなす馬鹿馬鹿しい青春徘徊小説だ。

「夜は短し…」同様にやや傲慢で大時代な文体で語られる物語は、どうやら内田百閧模倣したものらしいが、鹿爪らしさからユーモアが浮かび上がってくる。

主人公は一度誤って女性とお付き合いしたことがあり、別れて後は、天真爛漫で風変わりな女性水尾さんについて研究することをライフワークにしている。完璧な彼女だが、「私」を袖にしたという大きな問題を抱えており、「水尾さんという謎を解明せんとする研究は、ストーカーなどとは一線を画した知的活動だそうである(笑)。

「私」の友人たちも似たり寄ったりの鬱陶しい連中であり、クリスマスファシズム(幸せなクリスマスのイメージを押しつける世間の動き)を粉砕すべく暮れの京都に「ええじゃないか」をしかける終章が馬鹿馬鹿しいくも楽しい。何となく「男おいどん」を思わせるし、「ええじゃないか」を使ったあたり、かんべむさしの影響を感じさせる。

表題の「太陽の塔」とは万博記念のモニュメントである。主人公が水尾さんをデートに誘ったところ、彼女の方が太陽の塔に入れ込んでしまったということなのだが、その夢に入り込んでしまったというのが唯一のファンタジーらしさであろうか。ともかくけったいで面白悲しい傑作だった。





みずうみ/いしいしんじ

いしい作品と言えば、「麦ふみクーツェ」「プラネタリウムのふたご」のような作品の、悲惨で滑稽でハートウォーミングな作風が魅力だったが、今作はかなり違っている。新機軸を開こうとしたのかもしれないがどうもとっつきにくい。発表誌が「文藝」ということもあってか、かなり純文学寄りの展開だ。

神聖なみずうみを中心に栄えている集落では、「鯉を守る家の旦那」が長であり、ほどよく村を治めている。そのもとの各家には眠り小屋があり、こんこんと眠り続ける子供がいる。そして月に一度目覚め、大量の水を「コポリ コポリ」と吐き出しながら様々なことを物語るのである。

この章の語り手である子供は、余計なことを考えては遙か昔に亡くなった直系の祖先の老女に頬をつねられたりしている。「懐かしさ」をキーワードに適度にユーモラスで不条理で、いかにもいしいしんじらしい寓話的な世界だ。

次の章は町のタクシードライバーの物語である。月に一度、性器から大量の水を吹きだし、口から鉱物質のがらくたを吐き出す以外は実直そうな男だ。この男の日常を詳細に描き、失意と復活の日々を綴るのだが、真意が分からない。気持ち悪いほどの克明な描写に何の意味があるのだろう。

次の章も同様で、松本とニューヨークに住む二組のカップルの日常をしつこいほど丹念に描写し、そして非日常な世界との交錯を描き出している。春樹チルドレンと言われる著者だが、これはもう完全に「アフターダーク」「海辺のカフカ」等の模倣に違いない。意欲作といえるのかも知れないが、麦踏みクーツェのファンとしては失望する。



















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