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雑記帳


徒然記2008









総合経済対策(11/03)
金木犀の咲く頃に(10/08)
ユニバーサルサービス(09/26)
芸能と政治(08/25)
俳句クリニック(08/12)
ヒネクレ者、環境を論ず(07/13)
死に神発言(06/25)
終身刑の是非
煙草千円論
ファンド
後期高齢者終末期相談支援料
アキバという公界
3周年です
後期高齢者医療制度
  

総合経済対策
11/03

総額2兆円の定額給付金・・・。高額所得も低額所得も関係なく、一世帯あたり幾らで配布するそうだが、広く薄くバラマクことで、それだけ効果も薄くなりそうな気がする。 金持ちなら数万円受け取ったところでどうってことない額だろうし、自分のような低額所得者にとっては一ヶ月の生活費の足しでおしまいだろう。むしろまとまった金額を本当に効果のあるところにつぎ込めば良さそうなものだ。医療財源(或いは介護方面)に繰り入れて医療崩壊解消の一助とでもすれば良いのにと思う。

そして高速道路乗り放題1000円てのもどうかと思う。政府与党の気まぐれでこういう無理が押し通せるなら、何のために道路公団を民営化したものか。また、1000円でやっていけるものなら、未来永劫1000円にしておいて欲しいものだ。或いは燃料高に泣く運送業者にまで幅を広げればそれなりの効果がありそうなのに、乗用車に限るという案も良く分からない。

民主党は以前から高速道路無料を謳っているが、これは国営を念頭に置いてのことだろう。民営化を決めたのは小泉自公政権だし、散々民主案をバカにしてきた自民党が今更やるのかよ、と思う。

「高速道路の維持には年間2兆5000億円かかるが、これはガソリン税の道路特定財源から捻出できるから、高速道路の無料化は可能だ」というジャーナリスト(評論家?)がラジオで語っていたことがある。ガソリン税廃止案の騒動が起きる前の話だから、現在これが可能かどうかは分からないが、たとえばアクアラインが無料化されれば、羽田空港から10分のところにある地価の安い土地が活用できるという話だ。

上記の番組は田中康夫元長野県知事も出演し、運送業者が無料の高速を仕えるようになれば一般道路での事故が減ると発言していたが、確かにそう思う。同じ橋を架けるなら、単にゼネコンを儲けさせるために財政出動を行うのではなく、費用対効果を考えて行えばよいものだ。作ればおしまいで後はどうでもいいではなく、国家百年のグランドデザインをするのが政治というもののはずなのに・・・

金木犀の咲く頃に
10/08

父が亡くなってから1年が経過し、この1年間に書き留めておいたものを「金木犀の咲く頃に」と題して掲載致しました。

完全な自分語りのわたくしごとであり、ひと様のお目にかけるようなものではありませんが、書き留めた文章をどこかに発表したくて、ウェブの片隅に掲載することに致しました。

金木犀の咲く頃に

ユニバーサルサービス
9/26

1年くらい前からか、携帯電話料金にユニバーサルサービス料なるものが上乗せされている。赤字必至の固定電話網維持のために、電話番号を持つあらゆる端末から徴収しているらしいが、それなら公衆電話をもっと維持しろよと言いたい。

月3000円分の利用がなければ公衆電話はリストラされてしまうそうだ。病院など、ご老人も多く利用するような施設で公衆電話がないのはいかがなものだろうか。

携帯電話普及の前には公衆電話はそこらじゅうにあったし、民営化前は番号案内も無料だった。とするなら、サービスがよくなるのではなくて、経費のかかるものが切られていくのが民営化=効率化だろう。JRとて、旅客会社をまたぐような長距離の普通列車は少なくなったし、新幹線のはざまにあるような赤字路線は第三セクターに追いやっている。

郵政民営化も同じことだ。確かに郵便と保険と金融をひとつの組織が国営でやることには問題があったとは思う。ならば徹底的に分割すればよいものを、未だに同じ局舎を使って営業している(しかし会社が違うので、融通を利かせられない)。民営化前なら、郵便配達が簡保・郵貯関係の業務も出来たのに現在は不可、地方のお年寄りが困っているらしいと聞く。

コンビニにATMが常設してあり、宅配会社のメール便を利用できる状況であるならば、やる気のない特定局など必要ないが、そうはいかない地域もあるだろう。そこら辺をきちんと詰めていくのがユニバーサルサービスというものだと思うのだが、郵政選挙で妙ちきりんな制度改正になってしまったなぁと思うことしきりである(こういうことを書く以上、自分は与党には投票しませんでしたよ、もちろん)。

あらら、郵政政局首相引退ですか・・・。


芸能と政治
08/25

島田紳介、ビートたけし、桂文珍、爆笑問題、関口宏、北野誠など、芸能人(特にお笑い方面の芸能人)が政治経済や社会問題を語ることに対して違和感を持っていた。「芸能人の分際で」というような意識ではなく、領分・縄張りと言ったらいいか、専門外のことに口出しするなよと思っていたのである。頭の良さをひけらかす感じも頂けなかった。

しかるに、平安から安土・桃山までの中世という時代を考えると、政治と芸能と宗教が混沌としていたように思われる。芸能は宗教を起源とするものであり、辻説法・説教節・踊り念仏・声明などはそれを証明している。熊野の宗教勢力は源平の政権争いに影響力を持ったようだし、日蓮は国防論を発表して時の政権に睨まれたし、比叡山や春日神社は僧兵・神人などの武力を抱えた、信仰による精神的指導力と戦闘力を備えた一大政治勢力だった。

秀でた芸能を演ずる者がある種のカリスマであることを考えれば、芸能と宗教の同一性は現在も連綿と受け継がれているのだと思う。それを考えれば、教義≒政治信条を訴えるのに芸能が打って付けのメディアであり、「劇場型政治」などというものはまさに本道に則っているのかもしれない。

明治期には川上音二郎のオッペケペー節があり、自由民権運動の主張をバイオリンで弾き語りするスタイルが本来の演歌(演説歌)だったはずで、こうなってくると政治と芸能はあながち無縁ではないなぁとも思い始めるのだった。

様々な分野で垣根が低くなっているボーダーレス社会だが、垣根があればこそ他の分野の面白さを感じることが出来ると思っている。しかし、昨今のテレビの状況を見ると、ニュースと情報番組とワイドショーとバラエティの垣根が非常に低く、これなら容易に越境できるんだろうなと思う。タレントが首長になり、キャスターが西瓜をかぶり、お笑いタレントが政治経済を語る。彼らは軽やかに垣根を飛び越えているのか、それとも事物の境目がユルくなっているのか、大いに迷うところだが・・・(笑)。


俳句クリニック
08/12

俳人・坪内稔典氏率いる船団の会ホームページでは、俳句クリニックと称して、閲覧者から送られた句の添削が船団内部の中堅俳人により行われている。

以前は一人が複数句を投句し、それぞれに丁寧な回答を載せていたが、さすがに手が回らなくなったのか、寄せられた中から一週間毎に十句を選んで講評するスタイルに変更された。
http://sendan.kaisya.co.jp/clinic.html

この添削メンバーの中で、特に岡野泰輔ドクターの講評が好きだ。かなり自由な句風のネンテン主宰なのに、有季定型にこだわる原理主義者が多かったり、些末な文法の間違いを指摘したり、自分の理解の範疇を超えると「分かりません」と無責任に切り捨てたり、添削者としてどうかと思うようなドクターが多い中、岡野ドクターの講評は真摯で、論理的で、着眼点良く、例え批判があっても暖かみが感じられるのである。7月23日講評分の「寿司回転」句の添削に氏の気質が窺える。

遊びはルールがあるから面白い。遊びにルールが適用されないのはいわゆる「みそっかす」のみだ。だから形式にこだわるのも分からないではないが、しかし、あらゆる芸術に「遊び心」が不可欠である。俳句原理主義者は囚われすぎて本質を見失っているのではないか、というのが句作をしないヘボ読者の感想である。


ヒネクレ者、環境を論ず
07/13

世の中、「江古田江古田」、ではなくて、「エコエコアザラク」、でもなくて、「エコだエコだ」「CO2削減だCO2削減だ」という声が多くていささか煩わしい。

時あたかも環境サミットなるものが開かれ、温室効果ガスを2050年までに半減させるという長期計画を示して閉会したが、「その頃には、あのメンバーで生きているものは少なかろうし、無責任だ」という評論家の弁がある。先進国と新興国の言い分のぶつかり合いという側面もあって、確かに産業革命からこっち、化石燃料を燃やし続けて来たのは先進国だ。

ただ、自分としては、本当に温暖化はCO2のせいなのか、という思いが常にある。地球は何度も温暖期と寒冷期を繰り返してきたはずだし、その途上にあるだけなのかもしれないではないか。単にブームに踊るだけではなく、そのあたりをきちんと説明して欲しいものだ。

もしCO2のせいであるとするなら、それを吸収して酸素を生み出して来たのがアマゾンを始めとする大熱帯雨林地帯だろうし、そう言った緑地の減少も大きく与っているだろう。

データとして実証するために数値に置き換えるのも致し方ないと思う。ただ、人間が活動する以上、呼吸をしても火を焚いてもCO2を出さすにはいられないはずだが、「アレをコレすれば○トン削減」とか、「バイオ燃料は植物由来でCO2を吸収しているから排出量に含めない」とか、「環境を守る事業に代償を支払うことで排出抑制義務を免れたフリをするカーボン(=CO2)・オフセット(=相殺)取引」とか、「市場で排出権を売買する」とかの数字のやり取りは、資産を簿価で操作しているような印象を覚えて胡散臭い。何だよ、結局、金がからむのかよ!と思うのである。

挙げ句の果てに「うちの商品(サービス)は省エネでCO2の排出量が少ないから是非こちらへ」てなアピールをされて鼻白むし、CO2とは全然関係ない商品なのに、ため息を吐いたタレントが「あ、CO2を増やしてしまった」と嘆くCMの馬鹿らしさよ。

因みに、今回のサミットで、各国から大量の人間がジェット機を飛ばして来たし、車だって大量に動かす筈だから、CO2排出量もそりゃ大変なものになるだろうと考えていたが、カーボン・オフセット取引が8000万円になるそうだ。何だかなぁ・・・。

自然を大事にし、資源を無駄にせず、有害なものを排出せず、環境保護に貢献するというエコロジーな生活は大事だ。現代人の義務でもあろう。ただ、人間が生きている以上、常に環境負荷をかけ続けているはずで、それを意識しつつ負荷を最小に心がける生活をエコロジーというのではないか。

また、普段「省エネ」だの「環境」だのと良い子ぶっているテレビ局は、何故、クリスマス時のライトアップだのイルミネーションではあんなにはしゃぐんだろう。あれは反エコではないのかと思う(季節の風物詩として嫌いではないのだが)。

当地では、資源リサイクルと称してゴミ分別が小うるさいが、資金とエネルギーをかけてわずかな資源にリサイクルさせるより、プラゴミなどは燃料として燃やしてしまい、電力エネルギーを取り出した方が無駄がないという意見もある。かように物の見方は一面的ではない。夏場は週のうち5〜6日が収集日になるが、運送燃料と排ガスを考えると、どちらが環境負荷だろう。

再生紙エコ偽装の問題でも、バージンパルプを使えば無駄なエネルギーを使わず、漂白剤のようなものを使わなくて済むという意見があった。全面的に与するわけではないが、環境負荷としてどちらが大きいのか、実証して欲しいものだ。

以前、古紙リサイクルはコストがかかりすぎて、バージンパルプを使った方が安上がりだからリサイクルが普及しないという話を聞いた。昨今、あちこちで「リサイクル再生紙」を謳った紙製品を見るようになり、リサイクルが商業ベースに乗るようになったのかと思っていたが、エコ偽装に見るような顛末である。

「地球に優しい」「地球を大事に」が誤謬であると喝破していたのは作家の故景山民夫である。彼はエコロジストを自認している風だったが、人類が滅びれば地球環境は再生するので、『人類滅亡を免れるための「人に優しい」が正しい』と主張していたものだ。どうせ人類が滅びるならば、少しでも早めてやるのが地球のためだと称し、文学賞(講談社エッセイ賞?)の賞金で燃費や排ガス基準の古いアメ車を購入したようなことを書いていたが、実際はどうだったのだろう。環境運動に取り組むとしても、これくらいの諧謔味があらまほしい。

新宗教の信者となってから、景山民夫の書くものは妙にお行儀良くなってしまったが、30代頃の、馬鹿馬鹿しさと遊び心と自由な精神とセンチメンタリズムに満ちたエッセイは、腹を抱えるほど面白く、またしんみりさせられたものだ。

閑話休題、温暖化が温室効果ガスのせいなのか、単に地球が気候変動期に入っているのか、実際のところは分からない。ただ、確実に環境の変化は進んで、今までの暮らしを圧迫しているらしくは思えるから、これ以上の温暖化は望みたくないところだ(酷暑は苦手だという自分勝手な理由にもより・・・)。

死に神発言
08/06/25

ブログ「本と屁爆弾」は、深遠な洞察と批評において拙ブログの及ぶところではなく、毎度感心しながら拝読させて頂いている。

屁爆弾氏は「死に神」くそたわけというエントリで、法務大臣を死に神呼ばわりした朝日新聞を批判している。自分は死刑制度反対の立場ではあるが、この論にはまったく賛成だ。

法務大臣が法に則って職務を完遂したのに、それを「死に神」などと表現するのは、ウケを狙っているのか、自分の批評精神に酔っているのか、洒落た表現だとご満悦なのか、いずれにしても、人の生死に対する軽口は下劣だ。

以前から「威張る者」「気取る者」が嫌いと公言しているが、「ひとの生死に軽口を叩く者」も入れておこう。実生活においてもこういう輩を知っているが・・・。



終身刑の是非
08/06/14

仮釈放のない終身刑の設置について云々されるようになっている。

死刑と無期懲役の間にある懲罰として有効なのではないかという論、死刑を廃止して終身刑を最も重い刑にするべきだという論と、二手に意見が分かれているものの、超党派の議員の動きもあるようだ。

警察官僚出身の強面K議員は以前から死刑廃止論者で、革新政党議員と一緒に廃止運動を展開している。とても人権派には見えないのだが、冤罪がある可能性を考えたら、死刑があっては取り返しが付かないという考えらしい。非常に分かりやすい。

刑務官出身の作家は「死刑囚は死と向き合うことで自分を見つめ直せるし、無期懲役囚は“10年で仮釈放があるかもしれない”という希望を抱くことができる。どちらでもない終身刑は、絶望する囚人にとっても、その囚人を処遇する刑務官にとっても過大なストレスとなるはずだ。」と新聞で発言していたが、それは違うような気がする(どこがどう違うのか言い表せないのがもどかしいが・・・)。

再び悲惨な事件が起こってしまった。最近、「死刑になりたいから」などと言って凶悪な事件を起こす輩がいるが、死刑がなくなればこういう言い訳は通らなくなるのだろうか。大きく報道されるから影響された模倣犯も続出するし、かと言ってこれだけの大事件を報道しないわけにはいかないだろうし、悪循環のような気もするが・・・。

自分の意見としては、人権どうこうではなく、強面K議員の論拠によって仮釈放のない終身刑に賛成である。



話変わってちょっと前のことだが、後期高齢者医療制度に関する議員の会合の場面で、談笑する議員に対して「よく笑っていられますねぇ」とキャスターが発言し、この放送局が与党の会見から閉め出されるというニュースがあった。

まぁあまりにも子供っぽい反応だとは思う。ただ、この番組は、前キャスターの時代からときおり物議を醸すことがあった。自分の番組に都合のいい場面だけを切り出し、小賢しげなコメントで視聴者ウケを狙うのが常套手段のような気がするのだが・・・。上記の談笑場面だって、全体の会合の一部に過ぎなかったかもしれないのだ。あの七五三の正装のように見えるしたり顔のキャスターは本当に不愉快だ。「しゃべる機関銃」と呼ばれていた頃の輝きは失せてしまったなぁ・・・。




煙草千円論
08/06/06

「喫煙は健康に被害を及ぼす」が前提なので、不愉快に思われる方はお読みになりませぬようお断りしておきますm(_ _)m。

笹川陽平氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/笹川陽平)が、煙草に高額の税をかける煙草一箱千円論を唱えたのが話題になっています(超党派の議員連盟も出来ているようです)。

日本は先進各国の中で煙草が安すぎる、煙草が一箱千円になれば未成年者は手を出しづらくなり、禁煙する人間が増えて健康増進となり、税収が増えて医療費に充てられるので良いこと尽くめだ、という論旨らしいです。

禁煙ファシズム反対の立場を執るジャーナリスト(非喫煙者だそうです)は、医療費に関し喫煙者にのみ狙いを付けて差別するのは後期高齢者医療制度と同じことだと述べているそうですが(新聞記事より)、ちょっと待って欲しい。

後期高齢者医療制度の対象者である高齢者への道は、生きていれば加齢によって否応なく辿ることになりますが、喫煙は自ら選んだ嗜好だと言えましょう。好きこのんで健康を害している人たちと高齢者を一緒にするのは誤謬だと思えますが・・・。

一箱千円はぶっ飛びすぎにしても、喫煙が健康に害を及ぼし、無駄な医療費を発生させているのは確かなことだと思います。私は迷惑を受けない限り、ひとさまに対して禁煙を強いるものではありませんが(分煙は強います(笑))、煙草に対してあらかじめ医療費コスト部分を上乗せしておくとかの手段はあっても良いんじゃないかと4/15の当欄に書いておりますので、笹川案に関して「賛成かも」という立場です。

ただねぇ、この笹川さんはあの笹川さんの子息ですよね。要するに公営賭博に関わる方ということで、賭博も煙草同様に公益とは言えないような気がしますが、税収があるという点ではどちらも公益なんでしょうかね。

ファンド
08/05/30

某メーカーの株主総会で、取締役の再任案が否決されるというニュースがありました。

経営改善を訴えている大株主外資ファンドにその他の株主が同調したということらしく、まぁ、民主的な議決手続きでしょう。

しかし、大量の株買い占めで経営に介入しようとするこのファンドの手口は、別の食品会社の場合には司法によって「乱用的買収者」とされています。何だかねぇ、昨今のファンドは合法的な特○株主(いわゆるソ○カイヤ)に思えますね(笑)。

経営改善を迫って企業価値を上げるとか、増配を要求して株価をつり上げ、そこを売り抜けて巨額の利を得るとか、別に法律に違反しているわけではないのですが、「会社は誰のものか」ということを考えた時にはどうもしっくり来ません。

当然、このような人種は「会社は株主のものである」と言うでしょう。しかし、労働者あってこそ会社は利益追求が出来るのでは?。株主への配当は利益処分であり、労働者への給与は経費です(売り上げから経費を差し引いたものが利益)。労働分配率が下がって、利益処分の額が上がっていることが何とも腑に落ちませんなぁ・・・。



ファンドと言えば、原油と資源と穀物相場を高騰させているのもファンドでございましょう。原油はあらゆる経済活動のエネルギー源ですから、原油価格が上がればすべての商品価格に反映せざるを得ませんし、更に原材料価格が高騰しているとあれば、諸物価に現れるのは言わずもがな。一部の金持ちたちの投機ゲームによって割を食うのは一般庶民ですな。生活必需品くらいは規制してほしいものです(←改革に逆行?(笑))

現在の高騰は実需を大きく上回ったバブルだと思われます。サブプライムローン問題も住宅バブルがはじけた結果ですし、原油資源穀物バブルとなればいつかははじけるんじゃないかと思いますが、ファンドの人たちは、自分たちの取引は大丈夫だと思っているのか、それとも、上がり続ける限りは相場を張らなければ気が済まない投資家のサガというものでしょうか・・・。


後期高齢者終末期相談支援料
08/05/17

ふたたび後期高齢者医療制度ネタですが、末期医療のコストダウンのために、延命治療するかどうかを患者本人に問う「後期高齢者終末期相談支援料」なる診療報酬が誕生するんですな。何ともおどろおどろしい名目です(笑)。

「人工呼吸を望むか」「経管栄養を望むか」「蘇生術を望むか」と言うような延命治療の諾否を患者本人に尋ねると言うことがそもそもデリカシーに欠けていますし、中には認知力に支障を来していて理解できないお年寄りも少なくないでしょう。医師が1時間以上かけて説明しなければならないのも、ただでさえ多忙すぎる現場にとって恐ろしく効率の悪いことだと思います。

確かに終末期医療のコストは大きいと思います。薬石効なく亡くなる患者も多いでしょうが(私の父も効なくの方でしたが)、ただ、もし何らかの手だてで回復する希望があるならば何とかして欲しいと思うのが家族の思いです。10人に延命治療を施して、1人でも回復したならば決して無駄ではなく、やってみる価値はあると思うんですがねぇ。

ウィキペディアの厚生労働省の項目には「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進、並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする。」とあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/厚生労働省
ぶっちゃけ「国民の健康と生命を守る」と言い換えられるんでしょうか?


アキバという公界
08/05/02

オタクの聖地で、過激(お下劣)なパフォーマンスで耳目を集めていた自称グラビアアイドルが逮捕されるというニュースがあった(本人ブログを覗いてみたが、すでに釈放済み)。確かに、アニメキャラやメイドなどのコスプレーヤーがが目立つ格好で歩行者天国を闊歩し、オタク青年たちのカメラに取り囲まれて通行を妨げている現状を苦々しく思う当局(警察、役所、商店会など)は取り締まりを強化し、ちょっとでも人だかりがあると注意して歩いている。

アニメや話題になった動画を集団で踊ったりなぞったりしている映像がYouTubeなどで見られるが、警察の見回りに、蜘蛛の子を散らすようにいなくなる動画もアップロードされている。

上記の自称グラビアアイドルはやりすぎだろうし、取り囲むカメラ小僧(というのは古く、ローアングラーというらしい)も頂けないが、別に猥褻にあたらないような連中まで取り締まろうとするのはどうなんだろうか。郊外型量販店に客を取られ、青息吐息だった電気街が蘇ったのは、こうしたオタクたちのおかげなのではないかと思うのだが・・・。昨今は外国人観光客まで呼べるような名所になっているはずだ。

話は逸れるが、中世史ミーハーとしては、無縁・公界と言った周縁地域に魅力を感じている。朝廷や寺社や商人が支配する自治地域で、犯罪者でもここに逃げ込めば捕縛されることがないという権力不入の聖域でもある。この世ではない、一種の異界なのだろう。一向一揆の寺内町、交易で栄えた堺などがそうだったらしいが、市場が立ったり、大道芸が行われていたり、自由で活気にあふれた場所だったのではないかと勝手に想像し、憧れを持っているのである(笑)。ついでに言えば鎌倉の駆け込み寺東慶寺も公界だそうだ。

で、訪れた人がこの世の憂さを忘れ、異人たちとの邂逅を満喫できるアキバやディズニーランドと言った場所は現在の公界ではないかと思う。近代の公権力においては犯罪者が逃げ込めば手が届かないと言うことはないはずだが、せめてつかの間の公界の雰囲気くらいは残しておいて欲しいものだ。

3周年です。
08/04/29

当サイト開設から3周年になりました。いつもご訪問頂きありがとうございます。

3周年を記念して、何だかゴチャゴチャとして見にくくなったトップページを何とかしたいと思い立ち、かつコンテンツをすべて表示できるようにリニューアルしてみました。

ついでに妙な言語変換ツールを仕込んでごみました。あくまでお遊びですので、どうかお怒りになられませぬようお願い申し上げます。

かえってゴチャゴチャになったしまった感もありますし、中身には手を付けておりませんが、物事は外っ側というのが大事なものですし(笑)。なお、ヘッド画像のフォントは、書家青柳衡山氏が配布されている青柳衡山フォント2を使用させて頂きました。

3年前、適当なHTML知識と簡単なCSSのみで見切り発車しましたが、昨年は所属する団体サイトの作成に関わった結果、CSSの知識も少しは深くなってウェブマスターとしての能力がやや向上したのではないかと勝手に考えております(笑)。今後も少しずつ向上していきたいものですが・・・。

変わらずごひいき頂ければ幸いでございます。よろしくお願い致します。



ところで、補選で与党が負けましたねぇ。道路問題で揺れている時に建設関係の元官僚を擁立するなんて、まったくKYな。

後期高齢者医療制度
08/04/15

75歳以上を「後期高齢者」と呼んではばからない冷たい医療保険制度がスタートしたが、批判が多すぎて、スタート早々「長寿医療制度」などと言い換えているようである。まったく思いやりも想像力も欠如した馬鹿馬鹿しさだ。

私の母も「後期高齢者」なので「早死にしろということかい!」と怒っている(笑)。まさかそこまでの意図はないだろうが、自助努力だの助け合いだのの美名のもとに医療や福祉が縮小しているのは間違いない。

高齢者医療には経費がかかる、だから、受益者である高齢者にもみんなで少しずつ負担して貰おうという趣旨は、承諾は出来ないにしても、一応の意味は理解できる。ただ、それなら、喫煙による医療保険負担増大はどうなんだ?とも思う。

愛煙家の某評論家は、禁煙の押しつけはけしからん、喫煙が健康に悪いというなら、肥満だって健康被害が大きいはずだと主張しているが、これからは肥満に関してはメタボ検診なるもので縛りをかけてきそうだ。それなら喫煙に関しても、メタボ並の縛りがかかっても良さそうなものだと思うのだが・・・。

喫煙者側の負担としてたばこ税がかけられているじゃないかという反論もあろうが、5兆のたばこ税に対し、喫煙が原因と追われる疾患への医療保険負担は30兆になるという試算もあるようだ(確かな根拠を示せるわけではなく、ある医療経済学者の投稿からの受け売り)。だから、たばこ税を増税して、あらかじめ医療保険に組み込むというのはどうだろう。文字通りの私案(笑)である。

愛煙家の方は非喫煙者のたわごとだと思ってお聞き流しくださいm(_ _)m。

久々に徒然記を復活させてみました。ブログでは書けないような言いたい放題をしたいと思っております。それほど頻繁な更新ではないと思いますが、こちらもよろしくお願い致します。








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