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Libro,Musica,Planta DIARY(ほぼ読書日記?)




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TBS対楽天・ヒット曲・かんたん相互リンク
051130

TBSと楽天の騒動は、四分六くらいの決着という感じか。TBSも全面勝ちという感じではないが、ダメージは楽天の方が大きいのだろう。いずれにせよベイスターズの譲渡がなくなり、地元ファンとしてはホッとするところだ。

今年のヒット曲歌手を一堂に集めた番組を見ていたのだが、昨今の歌詞はひねりがないなぁと思う。ヒップホップ風でもネオフォークでもアイドルでも、要約すれば「頑張って前向きに」ばかりだ。25年くらい前のニューミュージックを思い出してしまう。

参加している「かんたん相互リンク」に不具合があり、エラーメッセージの送信フォームから報告したら、なんでそんなところから送信するか!と怒られてしまった。それなら送信フォームへリンクするんじゃねーよ!と、つい返信してしまった私である・・・(笑)。







の叔父さん 網野善彦/中沢新一
051128

中沢新一が、義理の叔父である網野善彦の死を悼み、叔父さんとの幸福な思い出と網野史学について語った追悼の文章である。

中沢家はそれなりに由緒のある名家らしいが、クリスチャンで国粋主義者で生物学者である祖父に反発し(天皇制を生物学的に考察した論文があるらしい)、息子は皆コミュニストになってしまったという家だ。それぞれが、民俗学愛好者だったり、鉄の産業史家だったり、学究的な家族なのであるが、妹の婿としてやってきた網野善彦がここに加わったことで、活発な論議が交わされることになった。中沢新一はなんと幸福な育ち方をしたのかと思うし、ここでの議論によって網野史学は大きなヒントを得たとも言えそうである。

意気投合した叔父甥は、学問的な部分でも大いに刺激し合ったことがうかがえる。人類学の方で「叔父−甥」「冗談関係」というらしいが、義務や強制を権威を伴わず、自由な関係の中から重要な価値の伝達がなされるらしい。落語や小説などでも、甥と仲良しののんきなおじさんというのがよく登場するが・・・。

悪党やばくち打ちや遊女や商工民など、非農耕的世界の民衆史を論じた網野史学は、学会では不評だったらしいが、歴史ファンにはロマンを感じさせる考え方である。網野家が寄寓していた名古屋郊外の焼鳥屋には秘宝館的な陳列物があり、野鳥を料理して供する主人は浪曲師だったと言うことで、まさに道々の輩的な、縄文的な世界が生きていたという話が興味深い。アジール研究の端緒など、網野史学を俯瞰しており、この方面の要約としても面白かった。中沢の「アースダイバー」もこの延長上にあるのだなと思わせる。









同じ色でも
051126

朱赤が一般的な君子蘭界に登場し、美しさと物珍しさでブームになった黄花種だが、あの黄色は他のありふれた花で見られるものなのに、君子蘭で見るから美しく見えたりする。同じ色でも、花によって映え方が違うのである。あっさりしたレモンイエローは、水仙などには美しいが、原色の似合うカンナなどには物足りない。

八重咲きというのもそうで、大体は豪華に見えるものだが、八重咲きが鬱陶しく思える花があったりもする。清楚さが魅力の花は一重の方が美しい。



花が少なくするこの時期、庭木のサザンカのピンクが目立つ。濃い赤ピンクも華やかだが、薄ピンク八重咲きの乙女サザンカの美しいこと。以前鉢植えで栽培していたのだが、枯らせてしまったのが残念。

今年は「富士の峰」というサザンカのポット苗を250円で入手した。ラベルを見る限り白八重なのだが、つぼみが徐々にピンクに色づいているのである(笑)。またラベル違いを掴まされたのか・・・。しかもサザンカならこの時期には咲いていていいはずなのに、まだつぼみが固いとは、もしや椿かもしれない、などと疑っている。







一枚摺屋/城野隆
051125

幕末の大坂、一枚摺(瓦版)屋の跡取り文太郎は、放蕩が祟って勘当されているが、文才は父親譲りで、戯作で身を立てている。目撃した米屋の打ち毀しを記事にし、それを父親が一枚摺にしたところ、ご政道批判と言うことで奉行所に引っ張られ、責め殺されてしまった。反骨精神も父親譲りの文太郎は、父の敵討ちとばかりに現体制への反抗心を煮えたぎらせ、ゲリラ的な一枚摺屋へと歩み出すのだった。

作者は団塊の尻尾くらいの世代、教員でもあったようで、いかにも反体制的なメッセージに満ちている。印刷物が運動のメディアであるところも、学生運動のビラ撒きを思い起こさせる。

文太郎の復讐劇と並行して討幕運動が語られているが、「大政奉還しても実験を手放さないつもりの徳川家」などは、口先だけの構造改革を叫ぶ政治家を重ね合わせているのだろう。どうもこの世代が時代小説を書くと、江戸幕藩体制の確立を学生運動の終焉に重ねたり、政治的なメッセージを込めることがある。面白くはあっても、このあたりは鬱陶しい。

物語はややご都合主義に進んでいった感があるが、最後に少しだけ悲しいエピソードがあり、この悲しみを「ええじゃないか」に昇華させているエンディングが良かった。 





やった、琴欧州が朝青龍を下す!。真っ向勝負での勝利がよろしい。一応二桁が大関昇進の目安になっているが、出来ればもう二つほど白星を重ねた方が箔が付く、と思う。

更新 リンク集に「LAUNCH!〜総合サイト」を追加しました。







若い市長とかパラダイス山元氏とか
0051123

当市の若い市長は、いわゆる無党派市長の改革派である。財政危機の市政改革は当然の急務だろうが、あまりの切りつめすぎはいかがなものか。

市民基本健康診査という制度があり、40才以上は無料だったのだが、今年から1200円を取るようになった。更には検査項目の中から胸部レントゲンを削ってしまったのである。昨年までは、レントゲンを含めて無料だったはずなのに・・・。医師会が、病気の早期発見のためにもレントゲンは必要だという旨のアピールをしているが、さもありなんと思う。

国の義務が「国民の生命・財産を守る」ことであるなら、市の義務も同じようなものだろう。5年ほど前から文化予算の切りつめも行われている。文化は精神的には重要だが、生命は脅かさないから、これはまぁ仕方がない。だが、市民の健康までも犠牲にするのか、と思う。

国民を守るべき首相がああいう人なのだから、それに倣うような市長がこうでも致し方ないか・・・。



パラダイス山元というマンボミュージシャンがいる。10年ほど前に、東京パノラママンボボーイズで一世を風靡した人だが、このところはマン盆栽家元として脚光を浴びている。フィギュアを鉢植えに置くことで新たな景色を作り出すマン盆栽は、盆景とかジオラマとかに通ずるのだろう。

先日、NHK-BS2の番組でも採り上げられていたが、巨大な盆栽の上にプラレールを載せてロマンスカーを走らせ、さまざまな小道具を配して箱根の景色を作り上げていた。園芸の中では伝統分野である盆栽にも、新たな発想ができるものだ。







和歌と書と絵と
051120

NHK教育の「新日曜美術館」で、古今和歌集と新古今和歌集を採り上げ、和歌と書と絵について解説していた。紙の上に表現される、一種のコラボレーションなのだそうだ。確かに絵と文字の取り合わせが美しく、歌の内容と相俟って、流れるような達筆に感じ入るばかりである。

紙には透かし絵のあるものもあり、これなどはウェブの壁紙に似ている。文字を邪魔せず、尚かつ雰囲気を演出するためのものだろう。

それにしても、かな文字の何と美しいことだ。流れるような柔らかさである。子供の頃から現在の年齢まで、字と絵に関してはコンプレックスを持っているが、字の上手い下手はどこで決まるのだろうかと思う。全体のバランスなのか、字のパーツごとの長短なのか、角度によるものか・・・。今に至るまで子供のような字しか書けないのが情けない(笑)。

更新
World Music好きさんに25の質問をアップしました。







ウォータースライドをのぼれ/ドン・ウィンズロウ
051119

元ストリードキッドの減らず口叩き探偵ニール・ケアリーシリーズ第4弾。実に6年ぶりの刊行らしい。またもや義父ジョー・グレアムがトラブルを運んで来るという幕開けだ。

レストランチェーンを持ち、ケーブルテレビ局で良質の家族向け番組を放送しているカップルの夫が、愛人のタイピストをレイプしたということでスキャンダルになっているが、その、田舎弁丸出しで下品なタイピストを裁判でも通用するような淑女にせよという、マイ・フェア・レディのような命令がニールに下されるのである。

ニールが所属する朋友会は銀行に附属する、顧客のためのトラブル処理機関だが、このケーブルテレビ局のNO.2と取引があり、経営者追い落としの策略が裏にはあるのだ。タイピストのポリーは、真っ直ぐな気性で、ニールのガールフレンドや、ケーブルテレビ局経営者の妻とも仲良くなってしまうあたりが笑える。この仮面夫婦は、テッド・タナーとジェーン・フォンダがモデルかと思ったが、解説ではクリントン夫妻としている。そう言われればそんな感じがしないでもない。どこまでも優等生な感じの妻である。

滑稽なマフィアやら凄腕の殺し屋やらアル中の探偵やらが飛び入りして、相変わらずのドタバタハードボイルドが展開されるが、どうも今まで比べて薄味のような気もする。楽しいことは楽しいが、カットバックを多用したことで、主人公ニールの必然性が薄れたような気がするのだ。でもまぁ、久しぶりにシリーズが読めて楽しかった。









Y市の橋
051117

松本竣介という画家の絵が好きだ。センチメンタルでメルヘンで、暗い抒情を漂わせる作風の人である。

鎌倉の鎌倉県立近代美術館で作品展があったが、その中で「Y市の橋」という作品が記憶に残っている。Y市とは横浜市のことだが、先日来、時折行っている南区のある橋が「Y市の橋」に酷似しており、もしやこれかもしれないとちょっと興奮した(笑)。結局違っていたのだが、久しぶりに彼のことを思い出したものである。

「池袋モンパルナス/宇佐美承」というノンフィクション作品に彼のことが採り上げられているらしい。池袋モンパルナスとは、昭和のはじめから敗戦まで、東京・池袋周辺にあった若く貧しい芸術家たちの集落の呼称であるそうだ。あの地域に芸術村があったなど、「池袋ウェストゲートパーク」の猥雑さからはちょっと考えにくいが、戦前は閑静な住宅地でもあったようだ。







大江戸美味草紙(むまそうし)/杉浦日向子
051115

 

江戸から来た人((c)和芥子さん)が綴った江戸グルメの数々。季節ごとの食べ物川柳を引用しながら、食べ物を粗末にできなかった時代の食の喜びを情緒たっぷりに伝える楽しいエッセイだ。

現代とは違う価値観なので、目から鱗の知識の数々が面白い。
  数の子やサンマがマグロやスッポンが下賤な食べ物だった。
  三が日に餅を食べるのは、家康が質実剛健を肝に銘じさせるためで、
  町人まで右へならえして雑煮を食べていた。
  三が日が開けて白いご飯を食べるのが待ち遠しかった。
  ふぐを食べるのは独り者のロシアンルーレットだった
  (ふぐは毒が当たるから鉄砲というのは知っていたが、
   時折当たることがあるから、という理由らしい。
   それほど鉄砲の命中率が低いと言うことだ)。
  初鰹は三両した。
  天麩羅とは魚介の揚げ物のことで(野菜天という使い方は当然誤用である)、
  この字を当てたのは山東京伝だった。
  蕎麦は主食ではなく趣味の食べ物で、だからこそ妙な通ができたらしい
  (通ぶりに顔をしかめる「そばの花江戸のやつらがなに知って」
  という一茶の句があるらしい)。
  甘いものが貴重だったので、客に出す羊羹は見せるだけのもので食べてはいけなかった
  (砂糖を大量に使っているので日持ちがし、かさかさになってから主人が食べたそうだ)。

などなど・・・。

ところどころ挿絵として日向子女史自身の漫画も挟まるが、細密な描き方は「名所図会」などの江戸の出版物を意識しているのか。









今日の園芸
051113

買いだめていたパンジー・ビオラをやっと植え付け。秋から咲くように品種改良されているパンジーだが、ぽつんぽつんと咲くくらいで、やはり春にならないと満開にはならない。パンジーはスミレだから、要するに春の花だ。何故わざわざ秋から半年も咲かせなければならないのか疑問である。

クリスマスホーリーを植え替え。今年も沢山の花が付いたので、実も十分に鑑賞できるはずだったのだが、訳あって夏場の管理を怠る羽目になり、実が落ちてしまった(ピラカンサも同様)。来年こそは晩秋に真っ赤に実らせたいものだ。

画像は多肉植物のイワレンゲ。セダムの仲間らしい。

イワレンゲ







子の星 池袋ウェストゲートパーク4 /石田衣良
051111

池袋のストリートを駆け抜けるマコト(果物屋とトラブルシューターとフリーライターの兼業)の活躍を描くシリーズの4作目。陰惨な事件を追っている割りには、希望を感じさせるのは毎度のことだ。

「東口ラーメンライン」チーマーのヘッドのボディガードを卒業し、ラーメン屋を開いたツインタワー1号2号(巨漢の双子)の店に、インターネットでの中傷や店へ汚物をまかれる嫌がらせが頻発し、マコトが調査に当たることになる。謎解き自体は簡単で、もう少し複雑な綾が欲しかったところだが、眼目は、ツインタワーの店に雇われている可憐な少女あずみである。店のまかないは食べずに、駄菓子の隠れ食いをするような不審な行動をしているのだが、その裏には悲しい事情があった。長澤まさみが演じたらぴったり合いそうな感じのはかなさだ。食べ物にまつわる悲哀と幸福が同居した好篇。

「ワルツ・フォー・ベビー」アメ横を根城にするチーマーのヘッドが殺された事件を、ヘッドの父親であるタクシードライバーと知り合ったマコトが調べに当たる。手下に優しく、頼りがいのあったはずのヘッドだが、実は・・・。タクシードライバーはジャズマニアで、車の中には常にジャズが流れているが、ラストシーンの傷心のドライブに付き合ったマコトがリクエストしたのがビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」である。何ともおセンチでベタであざといエンディングなのだが、あのスウィートで抒情的なメロディを思い浮かべると、グッと来るものがあるのだった(笑)。

「黒いフードの夜」果物のくずを貰っていくビルマ人の難民少年と親しくなったマコトは、やがて少年が9才の時から強制的に売春させられていることを知る。少年のためにはえげつない真似も厭わないマコトであり、爽快な活躍ではあるが、自警団的な危うさも孕むような気がする。

「電子の星」マコトの活躍をネット上で知った山形のひきこもりPCマニアから、いなくなった友人を捜してくれとメールが来る。あまりの無礼さに無視していたマコトだが、本人が現れてしまい、致し方なく協力することになる。かなり気味の悪い内容だが、怖じ気づいたひきこもりに「戦わずに逃げるのではなく、せめて負け犬になってみろ」と説教するマコトのメッセージが泣かせる。









アニソドンテア・サンレモクイーン
051109

暖かくなったり寒くなったりしながら、一歩ずつ冬に向かっている。真冬に入ってからの寒さは覚悟が出来ているから何とか凌ごうという気分があるが、この時期の寒さにはかえって弱い。布団や服など、まだ寒さ対応ではなかったりする(笑)。

そろそろパンジーの植え付けもしなければならないのだが、いまだ手つかず。数だけ揃ってしまったが・・・。やや離れた園芸店は生産者の店だと言うことで、パンジー78円セールをやっているというタウン誌の広告につられて行ってみたが、今ひとつ品質が悪いような気がする。近所の園芸店のパンジー祭り98円均一の方が良かったようだ。

だたし、78円の店でアニソドンテアが買えたのが○。いかにも好みのアオイ科植物で、四季咲き姫芙蓉の名が付いているが、フヨウ(ヒビスクス)属ではなくアニソドンテア属である。以前持っていたものはもっと濃いピンクだったが、今回入手したのはさくら色で、形と言い色と言い、何とも好み(笑)。


アニソドンテア







SISTER ACT
051107

ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを&天使にラブソングを2」のサントラ二枚組を、とんでもなく格安の中古で入手したが、その1の方だ。

のっけからホーンバリバリのR&B、そしてオールディーズ・ヒットをアレンジしたメドレーに「もうたまらない!」という感じだ(笑)。その後中休みのようにオーケストレーションの“Getting into the habit”がはさまり、やや沈静化させてくれたかと思うと、“Rescue Me”で再びファンキーな世界へ引き込まれるのである。

何と言っても楽しいのがM5の“Hail Holy Queenn/Deloris&The Sisters”で、厳かで美しい讃美歌風に始まったかと思うと、いきなりファンクに変化する。スイングする讃美歌は実にありがたさひとしおだ。

マット・ビアンコかインコグニートかという感じの打ち込みファンクの“Just Touch Of Love”のアーティストを見ると、お懐かしやC+C Music Factoryである。何だか数年に一度大ヒットを飛ばすユニットという感じだ。

実はこの映画は見たことがないので、ウーピー・ゴールドバーグがトラブルに巻き込まれて修道院に逃げ込むというくらいのストーリーしか知らなかった。が、M10が“Deloris Is Kidnapped”、M11が“Nuns To The Rescue”なので、デロリスがウーピーで、彼女が誘拐されて修道女たちが救出に向かったのだなと言うことが分かってくる。因みにどちらもノリノリバリバリの気持ちよさだ。

そして幾つかの曲のパフォーマーが、Deloris&The Ronellesだったり、Deloris&The Sistersだったり、Deloris&The Sisters&The Ronellesだったりするのは、役名で歌っていた訳だと分かってくる。実に芸達者だなぁ・・・。

あまり詳しくはないが、70年代ソウル風のこういう曲調は大好きだ。思わず体が動き出す、ダンサブルな感じである。が、当時の音楽に比べて何か物足りないような気がしてしまうのは、単なる先入観だろうか。妙に音が綺麗で、当時の音楽が持っていたドコドコドロドロした迫力が足りないように思ってしまうのだ。

SISTER ACT2では、更に洗練されてしまった感じがある。これはこれで嫌いではないのだが。出色なのは“Joyful,Joyful”。ベートーベンの「歓喜の歌」をゴスペル風にしたものだ。元々のメロディが力強く美しいのに、ファンキーなアレンジが加わった日には、「もうどうなってもいい!」という感じの気持ちよさである(笑)。ローリン・ヒルも参加しているが、彼女はこの映画がデビューだったんだなぁ・・・。







んちき/諸田玲子
051106

 

「あくじゃれ瓢六」の続編である。反骨精神の小悪党が、意気に感じて八丁堀の冴えない同心に協力するという時代連作だ。前作は正直なところ時代小説的な情感に乏しく、評論家の北上次郎氏の評価ほど良いとは思えなかったのだが(赤川次郎のユーモアミステリーのようで、それ自体としては悪くない)、今回はぐっと情感が増したように思う。

「消えた女」「孝行息子」金で請け負って悪者の悪評を流すような瓦版売り一味なども登場し、面白さを増し、訳ありの母子を匿うサイドストーリーも出てくる。これはもうお家騒動からみというのが一目瞭然だが、親子のために一肌脱ぐ瓢六一味の義侠心も心地よい。

「鬼と仏」凶悪な強盗を捕らえた奉行所だが、武家から盗んだ品物(拝領品)の在処を頑として吐かない。牢に送り込まれた瓢六が真相を探り出すと・・・。ひとの両面を描いて皮肉な面白さがある。

「半夏」牢内の対立を鎮めるために、またもや送り込まれた瓢六が、奇抜なな手段で荒くれたちを大人しくさせてしまう。なかなか不気味な雰囲気が漂う一篇。

「こんちき」付け馬を名乗るチンピラが、無実の友達を助けるために瓦版を書いてくれと瓢六のもとに現れる。義侠心から請け負った瓢六が、仲間を口説いて無賃でその友達を助け出してやると・・・。やや背筋寒く、情感の漂う一篇。匿っている母子についても瓢六の策略が功を奏し、ついでに無骨な同心の恋も叶うという、なかなか盛りだくさんの内容だった。









ウェブ二題
051105

ちょっと前まで、朝日新聞別冊の科学版で錯覚の特集をしていた。同じ長さだったり、同じ傾きだったりするものが何故違って見えるのか、科学的に全てが分かっている訳ではないらしい。学者の創案による錯視図もあったりして、なかなか面白い特集だった。

で、私の発見である(笑)。ウェブでおなじみ、http://の二つのスラッシュだが、アドレスバーにあるものを見ると、どうも傾きが違うように見えてしまうのだ。絶対に平行のはずなのだが・・・。或いはコロン(:)があるせいだろうか。



もう一つ。このサイトは基本的に私のブラウジング環境で作成している。ブラウザのサイドバーにブックマークを表示させた状態で、横スクロールバーが出ないくらいの大きさである。トップもコンテンツも同様だが、うっかりサイドバーを消してしまうと、大きく空白が出来ることに気付いた。

と言う訳で、皆様もブックマークとか履歴とかを表示させた状態でどうぞ(汗)。

今月の日記には、親子狐の絵柄を素材サイトからお借りしている。サイドバーが太いと狐が表示されないのが悲しい(笑)。







エンゼルハイビスカス&トラックバック
051103

エンゼルハイビ

画像はエンゼルハイビスカス。ユリ咲きの小さな花で、通常のハイビスカスよりも開花期が遅い。あくまで流通名なので、正式な学名は分からない。通常のハイビスカス同様、ヒビスクス・ローサルシネンシスになるのだろうか。

新しいブログを始めてみたが、どういう訳かアダルト方面からのトラックバックが多い。以前からのブログにはさほどのトラックバックはないのだが、ping送信がデフォルトで完備されていて目に付きやすいのだろうか。トラックバック承認機能があるせいで、寸時でも記事に反映されないのがありがたい。

トラックバックとは、ブログがジャーナリズムの道具であることから由来するようだ。他人のブログ記事をリンクして参照した時に、自分の意見を発展させた上で、「こんな引用をしましたよ」とお知らせするのがトラックバックの本来だという。

ジャーナリズムではなくとも、相手の記事に触れてリンクしてからというのがルールであるそうだ。単に自ブログへの誘導のためにトラックバックするのはトラックバックスパムとなるらしいが、大方はスパムばかりである。

トラックバックを貼られた先を一応確認してみると、スパムに対して「トラックバックありがとうございました」と礼を述べている人が多いことに驚く。みんなお人好しだなぁ・・・。「トラックバックありがたくありませんでした」のタイトルで嫌味のコメントでも残していきたいものだが、それはそれでトラブルのタネになりそうなので自粛している(笑)。







ースダイバー/中沢新一
051101

 

縄文時代、海は現在よりもかなり内陸まで入り込んでおり、海に突き出た半島や岬の部分に霊域があった。現在では洪積層と沖積層と区分されるその境目であり、ここには現在、寺社や古墳が残っているのだとする都市探訪記。

皇居が東京の中心であるのも、集落の中心に聖域を作り、死を厭わない縄文的な文化の果であり、江戸城を造った東国武士は縄文狩猟文化の末裔であるから当然なのだそうだ。

赤坂、麹町、芝、曙橋などの地域に東京タワーや放送局があるのも、異界への入口という点で、現代人も無意識に霊域の伝統を引き継いでいるのだとしている。

四谷怪談の於岩稲荷が、当初福徳の神様だったというのは初めて知ったことだ。鶴屋南北によって貶められてしまったらしい(笑)。

非常にスリリングで面白い東京ルポだが、あまり科学的ではなく、また、ちょっと対象に入れ込みすぎているというか、「トンデモ」の気配がなくもない。この人は宗教学者の看板を下ろしたが、どうも超自然の領域にとらわれる性向がありそうだ。アジールや無縁の考え方がやたらと引用されているのは、網野善彦が義理の叔父さんであるから当然か。































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